MIST

〜天蓬&三蔵〜




「霧が出てきましたね……」
 天蓬は足を速めながら、白く霞み始めた辺りを見回した。
 もうどれくらい、こうして歩き回っているだろう。
『天ちゃん! 金蝉がいなくなっちゃった!』
 半泣き状態で悟空が天蓬の部屋に駆け込んできてから、既にかなりの時間が経っている。
 最初は、どーせまた捲簾が連れ出したのだろう、くらいに思っていた天蓬だったが、考えてみればこうして悟空が心配すると判っていて黙って行くのはおかしい。
 更に、悟空の言葉を聞いてさすがに天蓬も状況の異常さを悟らずにいられなかった。
『金蝉、天ちゃんとこに行ってくるって、お昼過ぎに出てったんだよ……』
 今はもう夕方だ。
 ちなみに、今日は部屋にずっといて、読書ではなく書類の整理をしていた。誰かが部屋を訪れれば、常とは違って絶対気がつくはずなのである。
『悟空は部屋にいて下さい。金蝉が、戻ってくるかもしれませんからね』
 そう言い残して自室を飛び出して――、それから少なく見積もっても一時間は経ったはずだ。
 霧は深まる一方で、天蓬は仕方なく一旦戻ることにして、踵を返した。
 ――――その、途端。
「どこ行ってやがったんだ、テメーはっ!」
 いきなり延びてきた手に、胸倉を掴まれた。
 聞き覚えのある声――少々、いつも以上に口が悪い気もするが――、何より、自分が間違うはずのない彼のオーラ。
「……金……?」
 しかし、目の前にいるひとを見止めて、すぐさま打ち消す。
 似ている……が、違う。出会ってから何十年もの間、見つめ続けてきたひとではない。
 そのひとは、金蝉よりもやや濃い金髪に、強い意思を窺わせる深い紫暗の瞳を持っており、その瞳でまっすぐに天蓬を睨みつけていた。
 金蝉はこんな目で自分を見たりしない。
 そして、天蓬は、どうやら相手が人違いをしているらしいことに気づいた。
「ったく、バカ猿じゃあるまいし、勝手にうろうろしてんな」
 俺が迷惑だ、ときっぱり言い切るひとを、天蓬は慌てて遮った。
「あのぅ。申し訳ありませんが、僕は貴方の探してらっしゃる方ではありませんよ?」
「…………」
 そのひとは、言われてまじまじと天蓬を見つめていたが。
 次の瞬間、無言で手を離して背を向けた。
 ――やっぱり似てなんかないですよっ。
 他人の胸倉を掴んでおいて謝罪のひとつもない、そのあまりな態度にかなりムッとして、天蓬は先程の自分の考えを取り消した。
 金蝉は多少口は悪いが基本的には箱入りで、最低限の礼儀と言うものはちゃんと弁えているのである。
 そのまま立ち去るかと思っていた彼は、しかし何を思ったか草や木の陰などを覗き込んだりしている。
「……何をしてるんです?」
「探しモンだ。ったく、どこ行きやがったあのバカ……」
 思わず訊ねた天蓬は、返ってきた答えに耳を疑いたくなった。彼は、自分と間違えたその人物を、完全に「モノ」扱いしているのだ。
 普通そんなところに人は隠れてないだろう、とか突っ込むよりもまず、その相手に同情してしまう。
 そこで少し冷静になって、天蓬は改めて彼を見た。
 白い法衣に、額に見え隠れする真紅の印。それは、地上の人間の中で、最も神に近いと言われる三蔵法師の一人であることの証だった。
 だが、ここは天界。一体何故、『三蔵法師』がこんなところにいるのか?
「そんなに似てました?」
 不意に掛けられた言葉に、彼は不審気に振り返った。
「……貴方が今探している人と、僕」
「よく見りゃ似てねーよ」
 にっこりと笑顔で訊ねると、『三蔵』は嫌そうな顔で天蓬から目を逸らす。
「実は僕も人を探してるんですが、その人、ちょっと貴方に似てるんですよ」
 横目で睨む表情は、だからどうしたと言いたげだ。意外に判り易い人なのかもしれない、と天蓬は思った。
 かなり素直ではなさそうだが、探す場所はともかく、探し方からしてその相手を結構大切に思っているらしいことが判ったからだ。
 扱いは非道いとは思うものの、その点については少し羨ましいかもしれない。
 いや、金蝉だって、自分のことを大切にしてくれていないわけじゃない。
 ただ、彼の『たった一人』に自分は選ばれることができなかった――それだけのこと。
「この霧では、どうせ見つけられませんし。霧が晴れるのを待って、それから探したらいかがですか?」
 霧はすっかり辺りを覆い尽くし、もはや視界はゼロに近い。
 心配には違いないが、金蝉に何かがあれば自分には判るはずだ――という自信もある。
 だから、彼にも敢えて今視界の悪い中で『探し物』をすることはないのではないかと、提案したのだ。
 それは彼も同意見だったらしく、思いがけず大人しく、天蓬からは少し離れた場所に腰を落ち着けた。
 金蝉ではない、彼と同じオーラを持つひと――。
 思わずじっと見つめていると、天蓬の方を見もせずに、そのひとは言い放った。
「――じろじろ見んな、気色悪い」


 ……やっぱり、似てないっ。


 それから霧が晴れるまでの時間を、二人は一言も言葉を交わすことなく過ごした。






三蔵の可愛げのなさ、を表現してみました(死)
一応、八戒さまに対して愛はあると思うのですが、
表し方が複雑すぎて単に伝わり難いんではと。
「モノ」扱いは、つまり「俺のもの」扱い、と(そうか?)
天ちゃん、三蔵相手だとやりにくそう。
いつもの相手が純粋培養のおヒメサマだからねぇι






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