LOVELY BABY
〜19〜



 振り返ってみれば、肩で大きく息をしたにゃんこがいた。十メートルほど先。その手には、大きなヘルメット。たぶん、バイクのだ。
 そして、にゃんこのすぐ背後に立つ、背の高い黒髪の男。
 そばかすの目立つその男が脇に抱えているメットは、にゃんこの持っているのと色違いのデザインだった。何となく、雰囲気がにゃんこの友人のチビに似ている。チビの兄貴だという、バイト先の店長かもしれない。
 俺は横目で、ウソップを睨んだ。こんなお節介をする奴など、他に心当たりがない。が、ウソップは「ひっ」と喉を鳴らし、怯えきった表情で――失礼な。ヒトを鬼かなんかみてェに――ぶんぶんと頭を横に振った。代わりに、手を上げたのは。
「ごめんなさい。剣士さんに連絡したのは私よ」
「……ロビンちゃん」
「だって、このままお別れしてしまうのは、いくら何でも可哀想。それに、あの子の性格では、ますますあなたのこと忘れられなくなるだけだと思うわ」
 きちんとお別れしておかなければ、お互いに縛られるだけよ、ロビンちゃんはそう、諭すように言った。
 確かにそうかもしれない。それでも俺は、逃げた。
 そうだ、逃げたのだ。あいつのためだとか、自分だけが苦しめばいいとか、言い訳して。――ただ、逃げただけ。
 そばかす男が、にゃんこの手からヘルメットを取り上げ、そのメットでとん、とにゃんこの背を押す。立ちすくんでいたにゃんこが、弾かれたように俺に向かって駆け出した。
 十メートルの距離はあっという間に縮まり、ほんの数瞬で、奴は俺の胸にぶつかる勢いで飛び込んできた。何とかよろめきそうになる足を踏み留まり、反射的にその肩を支えるように掴む。にゃんこの手が背にまわり、強くジャケットを握り締められる。
 肩の下あたりにあるマリモを、俺は呆然と見降ろした。とっさには、ロクデナシらしい言葉のひとつも出てこない。突き放すどころか、まるで受け入れるように抱きとめてしまった自分に、そして、溺れる者のように必死な力でしがみついてくるにゃんこに、戸惑う。
 何でだよ、シャツに顔を埋めたまま、くぐもった声でにゃんこが鳴く。
「俺のこと、拾ったの、あんたなのに。飼う、ってったのに。今更、捨てんのかよ。だったら何で好きなんて言ったんだ。何で、待ってろって言ってくんねェんだよ!」
 ぐら、と眩暈がした。
 このバカ、何も判ってねェ。俺が、どんな想いで。
「……五年も、てめェ、待てんのかよ。ちっとは考えてみやがれ。五年も経ちゃ、てめェはもう二十歳だぞ。俺なんか三十路のオッサンだ」
 あァ、何言ってんだ俺は。こんなこと、言うつもりじゃなかった。こんな、みっともなくて、情けねェこと。
 俺は目を閉じ、震えそうになる声をこらえた。
「男でも、女の子でも。まだ出会いはいくらでもあるし、好きになる相手だって現れるかもしれねェ。そうなったら――」
 そんな約束は、重荷にしかならない。そう続けようとした俺を、涙を溜めた毅い目が睨み上げてきた。
「そんなん、知らねェ。何遍言わすんだよ、俺はあんた以外はイヤだ。要らねェんだ!」
 そんなことを言えるのは、他を知らないからだ。こいつにとって初めての恋で、だから逆上せて周りが見えなくなっているだけだ。
 それを判っていて、つけ込んだようなものだったのだ、それなのに。
「ホンット、健気だねェ」
 シャンクスが半ば感心したような声で呟くのが聞こえる。うるせェよ、知ってるよンなこた最初っから!
 俺はとうとう、にゃんこを抱き締めた。加減するのも忘れて、きっと、苦しいくらいの力で。それでもにゃんこは逃げようとするどころか、妙に艶っぽい息をついて、胸に頬を擦り寄せてくる。たまらなく愛しくて、あァ、だから何も知らせず消えたかったのに。
 想いを込めて抱き締めたあと、俺は目を開け、にゃんこの身体をそっと引き剥がした。縋るまなざしを向けてくるのへ、真剣な表情で口を開く。
「五……いや。三年だ。三年、待てるか? 俺は必ず、三年でここへ戻る。だからもし、それまでお前の気持ちが変わらなかったら」
「また……、飼ってくれんの?」
 期待を込めて、にゃんこが言う。俺は苦笑を返した。
 濃い藍色のピアスが三つ並ぶ、左の耳に触れる。首輪代わりと言ってプレゼントした。穴も、俺が開けた。俺の瞳と同じ色のピアス。外すなと言ったらその通り、ずっと着け続けている。
 俺が悪いんだけど。
 好きだ、ってまさか、ペットとしてだと思ってんじゃねェだろうな。
 すりすりと耳朶を撫でてやりながら、少し身を屈めて、そこへ唇を寄せる。
「俺好みに育ってたら、考えてやるよ」
 意地悪っぽく囁くと、にゃんこはぎゅっと唇を噛み、思いつめた表情で頷いた。バカな子だね。気づかないほうが悪いんだよ、と内心で舌を出す。
 ふと気づくと、ウソップが呆れたような顔をしてこちらを見ていた。シャンクスはニヤニヤしていて、ロビンちゃんはにこやかに微笑んでいて、フランキーはどこから出したのかギターを手に泣きながら変な歌を歌っていた。

 

 

「時間だぜ、サンジ」
 ウソップに言われ、俺はにゃんこをそっと離した。
 唇を噛み締め、潤んだ目を向ける愛しい子供に、一瞬だけ、触れるだけのキスを落とす。ぽろっと零れた涙を親指で拭ってやって、精一杯、余裕のあるふりで笑って見せる。
「いいこで、待ってな」
 ぎごちなく笑みらしいものを浮かべて見せた子供は、うん待ってる、と健気に応えた。


 搭乗口へ向かう途中、ちらりと振り返った先、にゃんこはそばかす男に肩を抱かれていた。ちりっとした痛みを胸に感じ、自嘲しつつ、その光景から目を逸らす。
 乗り込んだ機内のシートで、ようやく俺は顔を覆った。
 隣のゼフが、「もうホームシックか」と単調な声で言うのに、違ェよと返して。
 だけど今だけ、あの子を想っていさせてくれ。
 向こうへ着いたらすべて忘れて、料理だけに集中するから。

 

 

 

 

      ――――NEXT

 



続・別れのシーン。
エースを出すならこういう役割で、というのは結構前から決めてたので、
そこに関しては一片の悔いなし!(他はあるんだ…)
弟の友達、アルバイト。だけでなく、ゾロを大事にしてるエース。
バイト中にロビンちゃんから電話が入って(店に)、
呆然とするゾロたんを連れてきてくれた、いい人デス。
次回、ようやく、よーおーやーく! 最終話です。
長かった…ホントに…(涙)
'09.09.23up


 

 

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