LOVELY BABY
〜20〜



 蝉時雨が耳鳴りのように響いていた。
 ビル街にぽつりとある小さな公園は、中央に設置された古びた噴水が涼しげで、その周りを囲うように色褪せたベンチがいくつか並んでいる。植えられている桜も銀杏も時期ではなく、緑ばかりが目に沁みた。
 数度しか入ったことのなかったこの公園をさえ懐かしいと思って、自分の感傷に小さく笑う。


 三年というのは、過ぎてみればあっという間だ。ゼフは相当なスパルタで、だから実際俺はほとんど息つく暇もなかった。
 皿洗いから始めさせられた。どう見ても十歳近く年下だろうガキに並んで、立場は単なる見習い。仕方のないことと言えど、感情はそう割り切れるものでもない。悔しさもあったし、焦燥もあった。この調子では、三年どころか五年経ってもゼフに認められるコックになれるかどうかと不安にさえなった。
 けれどゼフは、思った以上にきちんと俺を見てくれていた。火を使わせてもらえるようになるのに、それほどかからなかった。
 しかしとにかくスパルタだ。何でこんなことが判らねェこのクソナスが、と蹴りを食らい、何遍同じことを言わせやがる、と冗談のように背の高いコック帽でド突かれた。
 そうして、自分でも自覚しているが元々気の長いほうでもなく辛抱強くもない俺は、終いには「うるせェクソジジイ」とがなり返すようになって先輩コックたちをビビらせたのだった。
 料理の腕に関しては、今でも敬意を払っている、つもりだ。が、遠慮のない罵声には、つい罵声で返してしまうのだ。


 申し訳程度に彩りを添える花壇の縁に乗り、その上をゆっくり歩く。夏休みも終わりに近いせいか、昼間だと言うのに人影はほとんどない。今頃ガキどもは、家で大いに焦りながら溜め込んだ宿題に取り組んでいるのだろう。砂場もブランコもないちっぽけな公園のベンチは、幼子を遊ばせる主婦たちや営業マンらしき男がぽつりぽつりと埋めているばかりだ。
 噴水の水を掛け合って遊ぶ子供たちの、甲高い嬌声が、蝉の声とコーラスしている。
 行き止まりまで足を進めて、俺は軽くジャンプして砂の上に降り立った。噴水のすぐ隣、丸い、素っ気ないデザインの時計を見上げる。懐中時計はベンチの下に置いたままのボストンバッグの中だ。取り出すのも面倒くさい。

 来ているという保証は、どこにもなかった。約束したわけでもない。
 ただ、オレンジの髪の少女宛てに、メールを送っただけ。
『今日の午後帰るよ。そういえば、ナミちゃんたちの高校の近く、公園があったよね?』
 ここは、彼女たちの通っていた高校からは、目と鼻の先にある。彼女たちと初めて出会った辺りだ。彼女と二度会ったあのカフェも、この近くだった。
 彼女からの返信はひとこと、『あるわよ』、それだけ。
 三年間はあっという間だった。それでも、少女たちは大学生になり、俺はバラティエ傘下の小さなレストランを一軒、任されるまでになった。夢への第一歩だ。もちろんここで終わりはしない。ゆくゆくは、自分の店を持つこと。そのゴールへは、まだ遠いけれど。
 芝生の横を通って、狭い公園をぐるりと半周ほど歩く。
 タバコもまた、バッグの中だ。開いていたパッケージは、さっき最後の一本を吸ってしまって、ごみ箱に投げ捨てたばかりだった。無意識にジャケットの胸ポケットを探ってしまい、舌打ちする。
 やはりバッグを開けようかと、もうずいぶん離れてしまったベンチに目をやり、――――――

 ベンチの傍らに立ちつくす影を、見つけた。

 ずいぶんと育った体躯は、縦はもう俺と変わらないだろう。幅のほうはいくらか負けているかもしれない。しっかりとした筋肉に覆われた身体はしかし、ごついというよりは若木のしなやかさだ。
 木々の緑よりも淡くそれでいて鮮やかな色の髪はやはり、輪郭が丸いせいでマリモのようだった。そして、こちらからちょうど見ることのできる左の耳に、三つ並んだラピスラズリ。
 ゾロ。
 俺の愛しいにゃんこ。
 バッグを睨むように俯けられていた横顔が、ゆっくりと頭を巡らし、やがて俺を見つけた。鋭く毅いまなざし。深い緑の瞳。わずか、見開かれたと思ったのはほんの一瞬。
 一向に動こうとしない俺に焦れたか、俺のほうへ足を向ける。大股で、見る見るうちに距離を縮めてくる。俺は、綻びそうになる口元を押さえるのに必死だった。


 何度か、ロビンちゃんから送られてきたスポーツ雑誌の切り抜き、その中の仏頂面はいつも、華々しい戦果とともに大きく取り上げられていた。
 それは、すっかりと成長した、うっとりするほど気高く美しい獣の姿だった。

 目の前で足を止めたゾロは、挑むような目を向けてきた。
「俺の気持ちは、変わってねェ。あんたはどうなんだ。……もう一回、俺を飼ってくれんのかよ」
「……本当に、変わってねェんだな」
 再開のあいさつもなく、ストレートに切り出された話に、俺は苦笑を漏らした。そうすると、強気な目の中にほんの僅か、不安げな色がかすめる。
「悪ィが、俺はお前を飼うつもりはもうねェよ」
「っ、」
 ぐ、と息をのみ唇を噛む表情は、三年前のままで。
 ホント、バカな子だね。
 俺はゾロの項に手をまわし、引き寄せた。揺れる目を間近に、微笑んでみせる。唇を重ねる直前、吐息混じりに囁きかけてやった。

「恋人は、飼うたァ言わねェだろ?」

 そのままくちづけて、抱き締める。
 恐る恐る、背に回された手に愛しさがあふれて、とうとう俺は声を上げて笑った。
「好きだぜ、ゾロ。俺のものになりな」
 ゾロは声もなく頷き、肩口に顔を埋めてくる。

 

 

 健気で一途な子供は、まだ知らないのだろう。余裕ぶって見せている俺が、この三年、どれだけこいつを想ってきたか。
 この瞬間のために、何度、挫けそうになる心を奮い立たせてきたか。
 おいおい判らせてやるさと、俯いた顔を上げさせ、その目尻に滲んだ涙を吸い取るようにくちづけた。

 

 

 

      ――――END

 



お疲れ様でした〜〜!!
サンジさんにこのセリフを言わせたかった。
こっちのEDパターンにすると決めてから、
サンジさんにこのセリフを言わせるのが使命でした。
誰から課せられた使命か(笑)
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
オフでまとめる時は、この続きを書き下ろしたいかな…。
とか言って、もうそんなに時間ないですね!(焦)
'09.10.03up


 

 

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