初恋物語



 町じゅうが薄紅に染まる季節。私の名前とおなじ花が咲き誇る頃のこと。

「さくのォ! どうしよう、あたし、ホンモノの王子様見つけちゃったよォ!!」

 半泣きで私・竜崎桜乃の胸に飛び込んできたのは、小学校の時からの親友の朋ちゃんだ。当時いじめられっ子だった私をいつでも庇ってくれてた、やさしくて強い女の子。
 その彼女が、泣きそうな声で言った、そのセリフに。
 私はけれど、ああやっと、と思っていた。やっと、そのときがきたのだ、と。

 

 朋ちゃんこと小坂田朋香には、生まれたときにはすでに決められていたという婚約者がいる。時代錯誤な話だけれど、そのことを私に教えてくれた朋ちゃんは、別にそれについて悲観してはいなかった。
『国光って、超カッコいいし! あたしの理想の王子様そのものだし! そんなひとが婚約者だなんて、ラッキーだと思わない!?』
 昔からの夢が『王子様と結婚』だった朋ちゃんは、そんなふうに笑ってた。
 婚約者の手塚国光さんは、私たちよりも二歳年上で、背がすらっと高くて顔立ちも整っていて、眼鏡が知的なイメージだけど勉強だけじゃなくスポーツも万能。特にちいさな頃からやってるというテニスでは、いちども負けたことがないという。
 確かに私から見てもカッコいいと思うし、王子様というのもうなずける。ものすごく無口なひとだけど、朋ちゃんを大切に想っているのは見ていて伝わってくるし。
 でも、朋ちゃんたちを見ていると、どうしても仲のいい兄妹、にしか見えないのだ。少なくとも朋ちゃんが、本気で彼に恋してるとは、とても思えない。
 だから私はずっと、このままでいいのだろうかと考えていた。このまま、お互いに恋をしていると勘違いしたままで結ばれて、それで朋ちゃんは本当にしあわせになれるのだろうか、と。
 大学生活も一年が終わり。手塚先輩が卒業したら結婚するという、もうリミットまで一年しかないという、春の日に。
 朋ちゃんはとうとう―――たぶん初めての―――本当の恋をしたのだ。

 

 

 相手の男のひとは、私の知っているひとだった。越前リョーマ。中学生のとき、テニスの大会の会場で―――私もちょっとだけテニスをやっていたのだ―――何度か見かけた。他校だったけど、手塚先輩と結構いい試合をしてて、コーチをしてる私のお祖母ちゃんが、昔の教え子の子供なんだよ、と教えてくれた。
 だれにも言ったことはなかったけど、実はあの頃の私は、まだちいさな身体で次々と相手を倒していくリョーマくんに恋心を抱いたりもしていた。
 お祖母ちゃんのおかげで話をしたこともあった。名前も覚えてもらえた。あの頃はそれで充分しあわせだった。そんな淡い気持ちだったけど、リョーマくんへの恋はいまでも大切な思い出だ。
 そのリョーマくんが公園でひとりで壁打ちしているところを、朋ちゃんが通りかかったらしい。手塚先輩よりちょっぴりだけど背が高くなっていて、一重の切れ長の目に、口元には不敵な笑み。この間の大会で先輩たちと話をしてるのを見たとき、もうそんな気持ちはないのに、私もドキドキしちゃったっけ。
 そんなリョーマくんだから、ましてテニスボールを追いかけているところなんて見たら、朋ちゃんがときめいてしまうのも無理はない。
 しばらく見とれていた朋ちゃんに気づいたリョーマくんは、トレードマークの白いキャップのつばを持ち上げて、「ねえ」と声をかけてきたという。
『アンタ、どこの学校? 名前は?』
 ………………。
 それってナンパじゃないの!?
 ――――とは、うっとりと回想にふける朋ちゃんには、ちょっと言えなかった。
 リョーマくんのことを思い出している朋ちゃんは、ほんのりと頬を染め瞳をキラキラとさせていて、とても可愛い。手塚先輩といるときにも、だれといるときにも見たことのない表情だ。
「……リョーマくんのこと、好きになっちゃったの?」
 問いかけると、朋ちゃんはハッとしたように私を見て、そして困ったように眉を下げた。
 ここのところ、よくうちの校舎に入り込んでは、朋ちゃんに声をかけているリョーマくん。朋ちゃんはそれに戸惑いながらも嬉しそうで、でも手塚先輩のことを思い出すのか困っているのもきっと本心で。
「判んない。リョーマ……は、カッコいいし。顔だけじゃなくて声も好みだし。テニスしてるとこなんか、すっごく……すっごくカッコいいし。でも、」
 ああ、判るよ朋ちゃん。私もテニスしてるリョーマくんを好きになったひとりだから。だけど簡単に手塚先輩のことなかったことにして付き合ったりできないよね。
 でも、じゃあリョーマくんは、朋ちゃんをどう想ってるんだろう。
 朋ちゃんの未来がかかった恋なんだから、ただのナンパじゃだめなのよ。そこまでの覚悟がないなら、これ以上ふたりが近づいても、朋ちゃんを悲しませることになるだけ。
 私はリョーマくんの気持ちを確かめるべく、直接話をしにいくことにした。

 

 向かったのは、リョーマくんがよく行くストリートテニス。コートで試合してる人たち、彼らを応援している仲間。それと、すこし離れたところにあるベンチに人影がふたつ。
 ひとりはリョーマくん。もうひとりは、うちのダブルスの黄金ペアの片割れ、菊丸先輩だった。手塚先輩の傍にいるのを、よく見かける。何か話をしてるみたい、私はどうしようか迷いながらベンチに近づいていった。
「おチビ、どーゆーつもりなワケ? あの子が手塚の婚約者だって、手ぇ出すなよって俺言ったよね?」
 昔からリョーマくんを知っているせいか、菊丸先輩は未だにリョーマくんを『おチビ』と呼ぶ。けれど聞こえてきたその内容は、朋ちゃんのことみたいだった。きっと私とおなじ気持ちなんだろう、いつも明るいひとなのに、いまの声、すごく真剣。
 リョーマくんがどう答えるのか気になった私は、思わず足を止めた。立ち聞きなんてよくないって、判ってるけど。
「菊丸先輩こそ、どーゆーつもりっスか。手塚先輩のこと、好きなくせに」
「お、俺はいーの! 手塚がしあわせならいいんだから。それより――――」
「……しあわせ、ねえ?」
 リョーマくんの言葉にすこしうろたえた菊丸先輩を遮るように、笑いを含んだ声。
「恋人ごっこでしあわせになれるワケないっしょ。あのふたりが本気で好き合ってるならともかく、いや、そうだとしても俺は譲る気ないっスよ」
「……! もういい!」
 怒ったようにそう言った菊丸先輩が、立ち上がった。そしてくるっとこちらを振り向いた。びっくりしたように見開かれる目。見つかっちゃった!!って慌てた私から、でも菊丸先輩はすぐに顔を背けて行ってしまった。
 菊丸先輩が手塚先輩を……って、もしかして本気だったのかしら。男同士でとか、そんなことを言うつもりはないけど、だったらどうして朋ちゃんとのことを応援するみたいな態度取るんだろう。
 とりあえず、そのことはひとまず置いておいて。
「リョーマ…くん。ちょっといい?」
「竜崎」
 振り返って、何?と聞き返してくるリョーマくんは、私がふたりの会話を聞いてたかもしれないのに、全然普通だ。私もなるべくいつもどおりに、「訊きたいことがあるの」とベンチの隣に立った。
 リョーマくんは無言で、目線だけで私を促した。
「朋ちゃんが、ね。すごく、戸惑ってるの」
「…………」
「最近はリョーマくんの話ばっかりしてる。朋ちゃん、リョーマくんのことすごく……意識してるみたい」
 好きみたい、とは言わない。それは私の言うべきことじゃない。でもリョーマくんは、それを聞いて「へえ」と――――うれしそうな表情をした。
 それが、私の聞きたい答えになっている気がした。
 私はリョーマくんをじっと見つめたまま、言った。
「手塚先輩より。だれより、朋ちゃんをしあわせにしてあげられるのよね?」
「当然」
 短い答えは、自信に満ちていて。
 ああ、リョーマくんは全部判っているんだと――――私はほっとして、微笑った。

 

 

 一年後。また巡ってきた、桜の季節。
 卒業していく手塚先輩の隣にいたのは、朋ちゃんではなくて菊丸先輩。あのあと菊丸先輩が猛アタックを開始して、半年前、その真剣な想いについに手塚先輩が陥落したのだ。
 でもふたりが並んでいるのを見れば、手塚先輩もちゃんと菊丸先輩を想っているのだと窺える。
 朋ちゃんと先輩の婚約の話は、正式に解消されていた。この婚約を決めたのがお互いのお祖父さん同士で、その当人たちがどちらもすでに亡くなってしまっているため、それぞれのご両親もそれほど反対はせず、それどころかむしろあっさりと許してくれたという。まあ、元々解消しなかったのは朋ちゃんたち自身がお互いに恋し合ってると勘違いしていたせいだし。子供のしあわせを願わない親はいないってことだろう。
 そしていま、朋ちゃんは。

「朋香。帰るよ」
「あっ、リョーマ! 桜乃、じゃあまた明日ね」

 門のところで待ってたリョーマくんの呼びかけに、嬉しそうな笑顔を見せた朋ちゃんが私に手を振る。その薬指に、クリスマスプレゼントだと見せてもらった可愛いシルバーのリング。手塚先輩からのプレゼントを見せてくれたときよりも、ずっとずっと嬉しそうに笑っていた。
 小走りに駆け寄って、隣に並ぶ。ふたりの姿は、とてもお似合い。
 私は、振り返ってまた手を振る朋ちゃんに振り返しながら、すこしだけ寂しく笑った。初恋を惜しんでいるのではなくて。純粋に、朋ちゃんが遠くなった気がして、それが寂しいのだ。
 こんなこと言ったら、きっと朋ちゃんはいつもの明るさで笑い飛ばしてくれるだろうけど。

 大好きな朋ちゃんが、しあわせになってくれるならそれでいい。
 私の気持ちはやっぱり、あの日菊丸先輩がくちにしたそれとおなじ。だから。

 

「……よかったね、朋ちゃん。リョーマくん」

 

 私の呟きは朋ちゃんにもリョーマくんにも届かないまま、冷たいアスファルトに落ちて転がっていった。

 

 

おわり

 



みどり様からリクエストいただきました。
またもweb拍手のメッセージから頂いたんですが、
…リクエスト内容と全然違う…!(死)
すみません、ふたつのCPを平行して、って言うのが困難な上
やっぱりどう考えても一話完結で納まる内容ではなく。
「大学生」「塚朋婚約者」「ハッピーエンド」この三点に絞ってしまいました…
そしてズルズル長くならないために、桜乃視点で。
みどり様、リクありがとうございました。
ホントこんなんなってしまってスミマセン!(汗)
とりあえずどうぞお納めくださいませm(__)m
(とてつもなく短いですが、駆け落ちするふたりの話はこちらから)
'06.03.06up


 

 

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