ユメノキオク



 今日の宿はツインが2つ。
 夕食の席での酒に酔い潰れ、寝こけている悟空を残し、彼と同室である悟浄はとっとと盛り場へと出掛けていってしまった。
 少なからず酔っているその足取りを心配しながらそれを見送った八戒は、悟空をベッドへ寝かせ布団を掛けてやると、さて、と背後へ向き直った。
「僕達も部屋で寝みましょうか、三蔵」
 酔いに頬を微かに染めた三蔵は、腕を組んで壁に背を凭れさせたまま、不機嫌な表情で黙り込んでいる。
 眠さの所為と解釈して、多少強引に腕を引いて部屋を移動する。こんな所で眠られては困る。運ぶのだって楽ではないのだから。
 手早くベッドを整えながら、まだ黙ったままの三蔵へ、返事を期待せずに声を掛ける。
「今夜は少し飲み過ぎたんじゃありませんか? 貴方達だけならともかく、一応悟空は未成年なんですし、少しは考えて下さいね」
 同量以上の酒を口にしていながら、微塵もそれを感じさせない八戒が、仕上げとばかりに枕をぽんと叩いた。
「――さ。できましたよ。どーぞ、お寝み下さい」
 振り返ってベッドを手で示す。
「ふざけるな」
「…………は?」
 短く叱責され、きょとんとする八戒に、苛々と吸い差しの煙草を壁に押し付けて消す。
「……三蔵」
 三蔵が顔を上げる――二人の身長差から、僅かに八戒を見上げる形になる。咎める視線を跳ね返す、強い光。
「勝手なんだよ、お前は。何でも自分ひとりで自己完結してんじゃねえ。かえって迷惑だ」
 言われる言葉が理解できない。
 酒の所為か、常にないほど饒舌な三蔵は、尚も八戒を責める言葉を上げ連ねていく。
 酔っ払いの言うことを真面に聞いても無意味と諦め、八戒は適当な相槌でかわすことにした。
「――――聞いてんのか、八戒」
 剣呑な声に、ふと疑問を覚える。
 いくら何でもここまで泥酔する彼は珍しいと、ようやく視線を合わせ、思わず息を飲んだ。
 酔っているとは到底思えない、一点の曇りも無く澄み切った紫暗の瞳。八戒は彼が、思うより真面であることに気付いた。
「僕の何が勝手なんです?」
 仕方なく問い掛けると、より不快げに眉を寄せた三蔵が、きっぱりと答える。
「全部だ、全部。――お前、俺のことが好きだろう」
 妙に確信めいた言葉で、言い切った。およそ彼らしくない言い回しに、八戒が呆気にとられる。
 前言撤回。――――この人はやっぱり、ハッキリキッパリ酔っている。
 図星を突かれた一瞬の動揺を巧みに押し隠して、逆に問い返す。
「どうしてそんな事が判るんですか?」
「見てりゃ判る。バレバレなんだよ、大体」
 八戒は苦笑した。つまり、酒さえ入らなければ、彼はずっと気付かないフリをしてくれるつもりだったのだ。
 ――しかし、バレバレ、ですか。つくづく僕は、この人に対して隠し事ができないらしい……。
 心の奥深くに押し込めた感情さえ、すべて見通せるのだ、あの神秘的な紫の瞳は。とはいえ、彼がそれを暴くことは決してない。彼のその、突き放す優しさに、何度救われただろう。そしてそれは、八戒に対してだけではない。
 困ったような笑みを浮かべたまま、さり気なく視線を外す八戒の襟首を、三蔵の手が掴み引き寄せた。
 驚く八戒の耳元へ唇を寄せ、囁き掛ける。
「いいか。――俺は、酔ってる」
 それだけで、三蔵の言わんとすることを理解し、驚愕の表情が再び困惑の笑みへと変わる。
「…………はい」
 触れ合わせるだけの短い口付けの後、八戒は三蔵の身体を、許されたぬくもりを、きつく抱き締めた。

 

 指先が触れる度、強張る身体。あまりにぎごちないその反応に、三蔵が決して行為に慣れているわけではないと知る。
 それどころか、他人と肌を合わせること自体、初めてなのかも知れなかった。
 彼の緊張を解こうと、八戒はあくまで優しく、ゆっくりと官能を呼び覚ましてゆく。
 声を漏らすまいときつく噛み締められていた唇が、やがて解け、切なげな吐息を零した。
「はっ…か、い……っ」
 差し延べられた手を取り、指を絡めて。愛しさを込めて口付ける。
 彼女を失って以来、初めて誰かを欲しいと思った。
 しかし、相手は同性であり、今の自分とは異なる種の者。二重の禁忌。それを犯す気にはなれなかった。
 自分の罪を、彼にまで背負わせたくなかったから。
 その自分に三蔵は、『酒』という口実を作り、与えてくれた―――
 同情でも良い。それ以上を望むのは虫が良すぎる。その為に自身を差し出してくれた彼を、こうしてただ一度抱き締めることが叶った。それだけで……。
 酔いの所為だと言った三蔵の言葉に甘えて、八戒は、決して告げることなどないと思っていた想いを、大切に、そっと口にした。
「……愛しています、三蔵……」
 応えるように目を伏せた彼に口付け、その身の内に潜らせた楔を、より奥深くまで埋め込む。
 声にならない悲鳴を、吸い取って。苦痛に歪む表情を、どこか小気味好く見下ろす。
 滅多なことでは動かない三蔵の表情を今、支配しているのが自分だと思うと、八戒自身にも自覚のなかった感情が、俄かに溢れ出す。
 それが苦痛でも、快感でも。八戒のぶつける想いをそのまま受け止め、返してくる三蔵の反応が、嬉しかった。そして、それをできるのが、今、自分ただ一人だという事。
 ―――嗜虐心。独占欲。現在(いま)の自分には、最も縁遠いと思っていたはずの感情なのに――――――
「三蔵……、声、を………」
 欲に掠れる己の声が、遠い。
 肉欲などではない。三蔵に対しての、欲。
 唇を血が滲むほど強く噛み締め、きつく眉を寄せて。自分の手の中で熱くなる肌を否定するように、吐息さえ漏らすまいとする、三蔵を。
 思うままに、乱れさせてみたい。
 自分は、何と罪深い存在なのか………。
「――どうせ……たった、一度きりなんですから。少しくらい、僕の『お願い』、きいてくれても良いでしょう?」
「ふざ…けんなっ、あッ……」
 いつも通りの悪態までが、妙になまめかしい。解けた唇を突いて出たのは、艶めいた喘ぎ。
 きつく睨み据える紫の瞳さえ、微かに潤んでゾクリとする程艶っぽい。
 深く澄んだ碧の瞳に、狂気に似た影が過ぎった。
『一度きり』という言葉がキイワードとなって、自制心が失われていく。歯止めがきかない。
 もっと、もっとと。際限なく求められ、逃げを打つ細身の身体を、何度も抱き締め、貫いて。
 三蔵が完全に意識を手放してしまうまで、八戒は彼を求め続けた。

 

 

 昇り始めたばかりの朝陽が、カーテンを通して、室内をうっすらと明るく照らし出してゆく。
 眠ることなどできなかった。三蔵の寝顔を眺めながら、八戒は隣室のドアが開閉する音を聞いた。悟浄が帰って来たのだろう。
 どれ程そうしていたのか。
 小さく身動いだ三蔵が、ゆっくりと瞼を開いた。寝起きそのものの不機嫌な表情が、八戒を認めて僅かに強張る。
 その反応に、八戒はいたたまれず、視線を逸らした。
「……すみません……」
「何に対しての謝罪だ、それは」
 突き放すような言葉に、先を続けることができなくなる。
「……昨夜は、俺もお前も酔っていた」
 身体を起こすことさえ困難な状態なのに。八戒の、許されないような行為さえ、酒の所為だと一蹴して。
 否定の言葉の入る余地もない強い口調に、真意を計れず、ただ素直に頷く。
 少なくとも自分は、酔ってなどいなかったけれど。酔っていたとするならそれは、酒にではなく……。
「俺は忘れる。お前も、忘れろ」
 忘れられるはずがない。
 一度きりでも手に入れることが叶った愛しいぬくもりを。その悦びを。そして、狂気にも似た激情を。
 それでも、三蔵がそう望むのなら。
「―――判りました」
 貴方の前でだけは、と――言葉にはせずに続けて。
 忘れたフリをすることには慣れている。だから、彼が望む限り、いくらでも自分を偽ってみせる。
 ただ、心の内で想うことだけは、例え三蔵にでも止めることも、禁じることもできない。それだけは、許してほしい、と。
 八戒の答えに満足したのか、再び背を向けて布団に潜り込む三蔵を、いつもの笑みを浮かべた八戒が見つめる。感情を読ませない、穏やかな笑顔。
 それでこの人を欺き通せるかは判らないけれど。
 できることなら、この想いだけは見通さないでいてほしいと、願わずにはいられない。
 昨夜のことが『夢』だというなら、その記憶だけを大切にしたいと思う、この気持ちだけは…………。



END

 

 



初出・2000年7月16日発行「ユメノキオク」。
一度きり、じゃなく一晩限り、の間違いじゃねェのか(死)
裏に持ってくか悩みましたが、これくらいなら良いかなと(どういう基準)
しかし、古いな〜文体が違ってる気がする。つか漢字が多い。
'08.09.22up


 

 

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