目に見えぬ歪み

  八 話

 

 イルカの家に、明かりが灯っていた。
 どんなトラブルだったのか、上官を失い、それでも予定通りの日程で任務は終わったらしい。
 もしかしたら、と思って訪ねてきたカカシは、逸る気持ちを抑えきれず、そのドアを叩いていた。辛い任務明けで心身ともに疲れているだろう、そうと判っていても一目会いたかった。
 だが、室内からの応答はない。
 明かりをつけたまま眠ってしまっているのだろうか、残念に思いつつも諦めきれず、何とはなしにノブに手をかけると、それはあっさりと回ってしまった。
 どうせなら寝顔だけでも見て帰ろうと、気配を殺して玄関へ足を踏み入れる。
 寝室へ続くドアを、音を立てぬようにそっと開く。
 ――――――イルカは、眠っていなかった。
 ベッドの上で、子供のように膝を抱え込んで、窓の外を眺めている。そのまなざしは、どこか虚ろで。
 おそらく、空も月も星も雲も、何も目に入ってはいないだろう。そう、思えるほどに。
「イルカ、先生……」
 思わず呼びかけると、イルカは緩慢な動作で顔だけをこちらに向けた。そして虚ろな表情のまま、うっすらと笑った。

「何しに来たんですか……またセックスがしたいんですか」

 まったく覇気のない声での嘲るような科白に、カカシはぞくりと背を冷たいものが伝うのを感じた。
 あまりにも彼らしくない態度。一体、何が。
「何があったんです」
 多分、初めて。裏表なしに、本気でイルカを案ずる問いかけをした。普段なら、決して表には出さない、心からの……。
 カカシのその変化に気づいたのか、イルカの表情から虚ろな笑みが消えた。代わりに、膝を抱えた腕の中に、顔を埋めてしまう。
 それきり、重苦しい沈黙が降りる。
「………あのひとが死んだのは、俺のせいです」
 問いかけたことさえ忘れてしまいそうなほど長い沈黙を経て、イルカがようやくぽつりと漏らした。
「あのひと……蒼葉サツキのことですか」
「そう、敵から俺を庇って死んだんですよ」
 カカシは声を失った。
 Aランク任務ともなれば、敵方に忍びが雇われているということも珍しくはない。絶対にないトラブルとは言い切れまい。
 その敵の階級や人数がどれほどだったかは知らないが、ふたりともに無事ではいられない状況に陥り、サツキはイルカを庇って命を落とした―――。
 イルカが乾いた笑みを零す。
「……バカだと思いませんか、天下の上忍様が、たかだか内勤の中忍ひとりを守るために命を張るだなんて」
 本来ならば、上忍を生かすために中忍が犠牲になるのが当然なのに。そう続けるイルカに、カカシは唇を噛んだ。
 否定したい、けれどできない。階級を笠に着て、イルカを踏みつけにしてきた自分には。
 しかしふと顔を上げたイルカを見て、カカシはバカみたいに動揺した。相変わらずカカシを見ないその瞳に、涙が溢れていたのだ。
「イル――――」
「ずっと好きだったと、言われました」
 呼びかける声を遮った言葉に、胸を裂かれたような痛みが走る。
 もしかしたら、行為のとき以外では初めて目にする、イルカの涙。こんなにも打ちのめされている理由は、イルカがサツキを想っていたからなのではないか。
 想われているなどと自惚れていたわけではないけれど、ここのところイルカの態度が軟化しているように感じていただけに、やはり衝撃はおおきく。
 改めて自分がイルカに非道いことを強いていたのだと思い知らされた気がした。
 だが。
「……でも、それを聞いて、俺は……き、きもちわるいって思ってしまったんです」
 ぼろぼろと幼い子供のように涙をこぼしながら、イルカは言う。
「俺を守ってくれたひとなのに……、好きって言われて、気持ち悪くて。は、はじめてあのひとに抱かれたときみたいに、気持ち悪くてたまらなくって……。最低だ、今も俺は……あのひとの死を悲しいとも辛いとも思わないで、むしろホッとしてさえいるんです……っ」
 血を吐くような、悲鳴のようなそれに耐えられず、カカシはイルカをきつく抱きすくめた。これ以上痛い言葉を吐かせたくなくて、唇を塞ぐ。
 塞がれた口の中で、くぐもった声。拒絶なら聞きたくない、でも。
 イルカの手は、まるで縋りつくようにカカシの背にまわされるから。

「………俺も、キモチワルイ?」

 唇を解放し、そのまま額と額とを合わせるようにして濡れたその瞳を覗き込む。そこに、己の姿が映し出されていることに安堵しながら。
 蒼葉サツキが、初めてイルカを抱いた男。おそらくそれも、イルカの意思とは関係なく―――上忍命令として為されたことだったのだろう。
 憤りも確かにあったが、自分がイルカに強いたことと大した違いはないのだと、カカシは自嘲した。
 だから今から自分が口にすることは、イルカを同じように不快な気持ちにさせるだけかもしれないと、そう思っていてもどうしても言わずにいられなかった。
 イルカはゆっくりとひとつ、瞬きをした。瞳いっぱいに湛えられた涙が、おおきな粒になってころころと頬を滑り落ちていく。
 何を言われているのか理解できない、そのな表情のイルカに、カカシはもう一度くちづけた。
「俺が……好きって言っても。やっぱりキモチワルイですか」
「…………はた……」
「好きです」
 押しのけようとする手に力が込められる前に、強く抱き込む。嘘だ、と思わずのようにこぼれる否定。聞きたくないと言いたげに、かぶりを振る。
 どうして最初にイルカを抱いたとき、この気持ちに気づいたときにこのひとことを言えなかったのだろう、カカシは悔やんだ。
 もしも自覚したときすぐに言っていれば、たとえ受け入れられなくても、自分は彼を振り向かせようと努力していただろう。そしていつかはイルカの心を手に入れられたかも。
 でもあんなふうに扱っておいて、いくら想いを告げてもそれはどこか空々しく響いて。
「し、したいなら……っ、そんなこと言わなくても俺……」
 従います、消え入りそうな声で続けられ、カカシはさらに腕の力を強くする。
 抱きたくないと言えば嘘になるけれど、こんな状態のイルカをこれ以上追い詰める真似などできない。したくない。
 だからその代わり。
「好きです、イルカ先生」
 耳元に囁きを繰り返す。

 

 ねぇ、何度でも言うから。
 アナタが聞いてくれるまで絶対に諦めたりしないから、だから。

 

 

 どんなに認めたくない言葉でも、俺の想いを締め出したりしないで。

 

 

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カカシ先生サイドに戻りました〜。
蒼葉上忍の死に様とか、書きたかったけど…
巧く表現できそうなら、次回あたりに書きます。
あと二〜三話で終わります。
キリよく十話で終わらせたいけど、どうなるかなぁ…?(^_^;)
ラブくなりそうで、なかなかならないですねぇ、このふたり。
つーか、あまりにも間が空いたけど、待ってくれてた人いるんかな…
'04.11.01up


 

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