目に見えぬ歪み

  七 話

 

 その任務に当たるまで。
 イルカは彼に憧れを抱いていた。下忍だった頃から、彼を知っていた。
 蒼葉サツキ。上忍でありながら、中忍や下忍とも分け隔てなく接してくれ、決して驕ったところのないひと。もちろん忍びとしての実力も申し分ない。くのいちたちは彼に見初められようと必死になっていたし、男の中でも彼に想いを寄せる者は少なくなかった。
 素晴らしい人だと思っていた。今でも、忍びとしての彼は尊敬に値すると思う。でも。
 戦場では珍しいことではないと聞いていた、けれど。

『おいで、イルカ』

 手を引かれ、彼のテントに誘われた時も、欠片も彼を疑っていなかった。仲間の視線の意味も考えようとしなかった。
 美少年、といって差し支えないような容姿の者が仲間にいたこともあって、もしもそういうことがあったとしてもそれは自分には関係ないだろうと。
 ――――毛布の上に倒されるまで、イルカは馬鹿みたいに信じきっていたのだ。

 任務の一環だとか、この先同じようなことがあった時のためにも知っておくべきだ、とか。
 その時の彼は、他の性質の良くない上忍と変わらない、下衆な言葉を吐いた。まるでいつもの彼とは別人に見えた。
 ただ恐ろしくて、小さな子供のように泣いた。どんなにやさしく触れられても、気持ちよさなど少しも感じられなかった。
 彼の欲望を口に含まされたときには、死んでしまいたいとさえ思った。

 

 その、彼が。
 今、目の前にいる。あの頃と変わらない、穏やかな笑みを浮かべて。
 ――――気が、遠くなりそうだった。

 

 

「打ち合わせと言っても、内容は密書を奪い里に持ち帰るというだけだ。君にしてもらうのは潜入時の援護くらいだからね」
 サツキは何でもないことのように言っているが、サポートが必要と認められるような、Aランク任務。事はそう簡単ではないはずだった。
 硬い態度を崩さないまま、それでももう少し詳しく、と言い募れば、サツキは笑って、
「相変わらずマジメだね」
 懐かしそうにそう言って、頷いた。
 相変わらずなのはそっちだろう、とイルカは思う。あの時のことが何かの間違いであったかのように、サツキはそのままだ。イルカに憧れを抱かせた上忍の彼のままだ。
 外見にしても。
 まだ少年だった自分はすっかりむさ苦しいただの男になったけれど、目の前の上忍は少しも変わらず美しい。同じ性別を持っているだなんて、信じられないくらいだ。
 一体このひとは、何故あの時自分を閨の相手になど選んだのだろうか。
 いや、それを言うなら『あのひと』こそ。少年の頃でさえも間違っても『美』などと付かなかったような自分を、それもこんなに育ちきってしまったようなのを、いちどきりならともかくその後も続けて抱こうだなんてどうして思ったのだろうか。
 身構えてしまうのはもはや条件反射に近く仕方ないとしても、イルカは蒼葉サツキを前にしても不思議と冷静でいられる自分に気づいた。あの当時なら、言葉を交わすどころか目を合わすこともできなかっただろう。
 彼が、怖かった。
 でも今は、もっと辛いことを、苦しいことを知っている。
 想っても届かない、口にさえできない気持ちを知っている。
 心の伴わないただの『任務』なら、傷つくのは身体だけだから、もう、恐ろしいとは思わない。
 相変わらずだと彼は言ったけれど、自分は変わった。それが良いことなのかどうかは判らないけれど。
「出発は明日早朝。国境付近で」
「はい」
 イルカは立ち上がり、手を上げて去っていくサツキに礼をした。

 

 

 用意された期間は三日。行き帰りの道程に二日、密書を奪うのに一日。単純な計算だが、充分可能だ。
 ――――三日、会えないのか。
 夕刻の帰り道を独り歩きながら、イルカはぼんやりとそう考え、空を見上げた。まだ白い月が、うっすらとした雲に覆われている。
 あのひとが任務を終えて帰ってくるのは、何時くらいかな。
 できたら会いたい。一目顔を見るだけでもいい。どうしてかは判らないが、出かける前に彼の姿を、存在を確かめておきたかった――――。

「おかえり」

 アパートの手前で、思わず足が止まる。玄関のドアに凭れて、唯一覗く右目が、笑う。
「はたけ上忍……?」
「アンタ里外に出るんでしょ? 三日だって? その間お預け食わされるわけ俺」
 いつもなら勝手に部屋に上がり込んでいるのに。いや、留守の間に来て待っているなんてこと自体、そもそも滅多になかった。
 呆然として立ち尽くすイルカの前に、いつの間にか移動したカカシは、すいと身を屈めイルカの耳元へ唇を寄せた。
「しよ」
 短く誘われ、気づけば玄関の内側にいた。抜き取られた鍵が、床に落ちてカシャリと微かな音をさせる。
 その腕に包まれる――――目眩。
 会いたいと願ったひとが、会いにきてくれた。たとえその目的が快楽だけであったとしても。
 イルカは夢中でカカシの背を抱いた。しがみつく指先が震えるのを、止められない。
 冷静でいられるだとか、恐れていないだなんて、嘘だ。本当は、こんなにも怖くて堪らない。
 たとえたった三日間のことだとしても、このひとと離れ、彼と共にいなければならないということが、何故かどうしようもなく不安でならなかった――――。
「はたけ上忍、……寝室へ行きましょう」
 いまは明日のことも何も考えたくない。里の忍びとしては、失格かもしれないけれど。今の自分には、任務よりも大事なものがある。
 それはこのひとと、このひとへのこの想い。
 キスをする。
 このまま離れたくないと、馬鹿な思いが過ぎる。と、唇が離れた隙間で、カカシが呟いたのが聞こえた。
「はなれたくないなぁ……」
 不覚にも涙が出そうになった。
 どんな意味でも、このたった一瞬のことでもいい、カカシが自分と同じ気持ちでいてくれたことが嬉しくて、それだけで。

 

 死んでもいいとさえ、思った。

 

 

BACK← →NEXT

 



全然進んでないじゃん!!(>_<)
蒼葉上忍の説明に時間かけすぎたっっ
(今回の背景は、蒼葉上忍。優男になってますか?/死)
あとは入れる意味のあまりないカカイル描写のせいで、
任務に発つことさえできませんでした…っっ。
いや、別にこの先の展開考えてないとかじゃナイですよ…?(死)
とりあえず、しばらく裏には行きませんので。
'04.02.16up


 

※ウィンドウを閉じてお戻りください。※