目に見えぬ歪み

  六 話

 

 正直なところを言えば、嬉しかった。
 抑えることなくぶつけられた彼の激情は到底受け止めきれるものではなく、与えられた仕打ちに恐怖さえ覚えたけれど。
 命令で、女の代用としてこれからも身体を開けと言われた時。
 絶望と同じほどにイルカの中に在ったのは、求められることへの悦び。たとえそこに、ひと欠片の心さえなくても。
 カカシとこの先も共にいられる。それを、許される。ただそれだけで、すべてを受け入れることができると思った。
 それでもこの想いを知られることは恐ろしくて。自身に、ふたつの決め事をし、枷をつけた。彼を以前のようには呼ばないこと。自ら彼に手を伸ばさないこと。
 どれほど酷い仕打ちを受けても、彼への想いは変わらないから。
 少しでも長く彼を繋ぎ止めておくためにも、自身の想いに歯止めをかけねばならないと思ったのだ。

 

 上忍としての任務の有無に拘らず、カカシは気まぐれにイルカを抱くようになった。
 呼び出しはいつも突然で、訪ねて来るのもやはり突然。気の済むまでイルカを揺さぶった後は、イルカに一切触れない。初めの時以降、朝までを共に過ごすことはなかった。カカシの自宅であればすぐに追い遣られ、イルカのアパートであればシャワーも使うことなくさっさと出て行ってしまう。
 本当にただ、処理のためだけにイルカを抱いているのだと言うように。
 けれど辛いと思う反面、どこかホッとしてもいた。元より、気持ちもなく優しくされることなど望んではいない。
 それに、中途半端に馴れ合わないことで辛うじて平静を保つことができ、普段は以前と変わらない態度でカカシに接することもできるのだ。
「こんにちは、イルカ先生」
 子供らがイルカを見つけ、ナルトが声をかけてきて。何でもない素振りでカカシに挨拶をされても。
「こんにちは」
 笑顔で、そう返すことができる。
 それはほんのささやかなことではあるけれど、今となってはたったひとつイルカが守り抜きたいと願う矜持だった。
 中忍試験をめぐってカカシと衝突した時。イルカはカカシの言葉に衝撃を受けている自分に驚いた。まだ自分は、彼に何かを求めていたのかと。そして、彼との奇妙で不自然な関係もここまでかと思った。
 上忍に中忍風情が意見するなど、本来許されることではない。その場はガイや三代目のおかげで何とか収まったけれど、彼は公の場で彼に逆らった自分にさぞ腹を立てているだろうと。
 だがカカシはその夜、何ごともなかったかのようにイルカのアパートを訪れた。
 何で、思わず口をついた問いに、彼は嘲笑った。
「なに。あれで俺から逃げられると思ったの? おめでたいねアンタ」
 キスをされる。ただの性欲処理の道具に、そんなことしなくても良いのに。カカシは何故か、いつも必ずイルカにキスをする。行為自体は強引で手荒いくせに、キスだけはとてもやさしくて。
 いつだって、泣きたくなるのを必死に堪えていることを、彼は知らないだろう。
「……ま、でも、そうだな。公の場で俺に刃向かってくれたことには、やっぱお仕置きが必要かな」
 すう、と細められた目に見つめられ、走る悪寒。無意識に後退るけれど、そんなことが許されるはずもなく。
 その夜の情交は、いつになく酷いことになったのだった。

 

 

 その話を聞いた時、何の冗談かと思った。
 うちはイタチの術にかかり、カカシが倒れ目覚めないというのだ。木ノ葉の誇る医療班の力を持ってしても、今の技術では治療は不可能だと。
 治すことができるのは、どこにいるかも知れぬ”伝説の三忍”の一人、その人しかいないと。
 だがそれは写輪眼を持つカカシであったからこそで、他の者ならば命を落としていたであろう、そう聞いてイルカは全身の血が凍りつくような恐怖を感じた。
 一歩間違えば、カカシは死んでいたかもしれないのだ。
 数日後、サスケもまた同じ術にかかり、三忍の一人である自来也がナルトを伴って五代目火影候補でもある医療忍術のスペシャリスト・綱手を探しに出かけ。
 火影不在の混乱と復興の慌しさに、イルカたちアカデミー教師までも任務に狩りだされるようになる。
 わずかでも時間が空けば、サスケとカカシを交互に見舞った。可愛い元生徒のサスケが心配なのはもちろんだったが、カカシの元へはより足繁く通った。
 綱手さえ戻れば大丈夫だと聞かされていた。
 それでも、不安でたまらなくて。不意にその呼吸が止まってしまうのではないかと恐ろしくて。
 こんなことになるのだったら、嫌われても疎まれても、想いを伝えておけば良かった。もっともっと、自分から触れて。彼を抱き締めれば良かった。
 後悔と悲しみばかりがあった。カカシは死んだりしないと、どんなに自分に言い聞かせても信じきれなかった。
 だからカカシが目覚めてから、イルカは自らに課した戒めをひとつ、解き放った。彼に組み敷かれてはシーツを掴むばかりだった手を彼の背にまわし、自分からくちづけさえした。
 最初は驚き、戸惑っていたカカシは、意外にもそれを受け入れてくれ、どこか暴力的であった愛撫がやさしく丁寧なものに変わっていった。
 心がなければ辛いだけと思っていたそのやさしさは、イルカの胸をじんと温かくしてくれた。
 このまま時が止まればいい。本気でそう思った。
 それでも決定的な言葉を口にしたら、終わってしまう気がして。ただひとこと、『好き』とは言えないまま。

 

 

「ご指名だよ」
 五代目火影に就任した綱手から手渡された任務依頼書に、自分の名がある。ランクはA。だがイルカ自身の任務はそのサポートだ。
 基本的にAランク以上の単独任務に就く上忍は、必要性が認められた場合、サポート役に中忍を指名することができる。空いてさえいれば誰を選ぶのも自由。
 しかし里内勤務の長いイルカを指名する上忍など、そうそういるものではない。過去に何らかの任務で接触し、イルカの実力を知っている者。外に出ていた期間が短いため、そんな者はほとんどいないはずだった。
 一体誰が、と担当者の欄を見たイルカは、そのまま凍りついた。

「久しぶりだね、イルカ」

 不意に現れた気配。ビクンと跳ね上がったイルカが、ゆっくりと振り返った先に、一人の男が立っている。
 当時三十近かった彼は、九年経ってもさほど変わっていなかった。栗色の髪。優しげな面差し。細身の身体。
 よろしく、と握手を求めて差し出された手に、目眩を起こしそうになる。

「………蒼葉上忍………」

 

 忘れもしないその名。
 それは九年前、初めてイルカに触れた上司の名だった。

 

 

NEXT

 



明かされる蒼葉上忍の正体。
…とかいって、たぶん皆さん気づいてたと思われますが。
思ったより進まなかった。
てゆーかカカイル部分になかなか手が抜けなくて(汗)
次回はもっとちゃんと何とか、蒼葉上忍の人となりとか。
さてどんな人なんでしょうか?(笑)
'03.12.08up


 

※ウィンドウを閉じてお戻りください。※