アキノソラ
不二はよく、睦言のようにそう口にした。決して甘いと言えない言葉を、切なげな表情で。 まるで、片想いをしているみたいに。 「………すればいい」 何を言いたいのか理解はできなかったが、仮にも恋人として、この場合どうすべきかと悩んだ挙句、手塚はそう答えた。 実際にされた時どう感じるかはともかく、不二がそうしたいなら付き合ってもいいと思ったのだ。 しかし、そうすると不二はひどく驚いた顔をして、次に何故か泣きそうに顔を歪ませた。 「違うよ手塚。ごめん、今の忘れて………」 そして不二は、熱が引いたばかりの手塚の身体を抱き締め、再び求めてきた。 何が違うのか。どうして謝るのか。 追求はせず、溜め息をついた手塚は、目を閉じて不二の背に腕を回し、抱き返してやる。 ――――お前は本当は、俺をどうしたいんだ………? いつもと変わらぬ優しい不二のキスに、だがこの時、手塚は酔ってしまえなかった。 やがてその愛撫に欲望の火を煽られても、冷めた心が取り残されていた。不二の望みが、心が、理解できないことが哀しいと思った。 元々、二人の関係は不二が言い出したことから始まったのだった。 好きだと言われ、それまで彼をそういう意味で意識したことなどなかった手塚は、すぐには返事をせず考えてほしい、と言われるまま素直に考えた。 しばらくして焦れた不二に再度告白され、『多分』付で好きだと思う、と返した。 『今はまだ、それでもいいよ』 そう言った不二は、充分嬉しそうだった。 そんな不二の笑顔を見た途端、手塚の中の『多分』は消えた。半年以上も悩んで出せなかった答えが、不二の笑顔ひとつであっさり出たのだ。 さすがにそんな現金なことは言えなくて、手塚はすぐに自分の気持ちを不二に伝えることを躊躇った。 その時言えなかったばかりに、今に至るまで手塚は、はっきりと不二に好きだと口にして伝える機会を与えられていない。 もう一度訊ねられたら、きっと言えるのに。 不二はただ切なそうに笑うだけで、手塚の答えを求めなかった。 こうして肌を重ね合わせ、二人で夜を過ごすようになった今でさえも。 不二を臆病にさせたのは自分だ。手塚にはその自覚があった。今のこの状況を変えるには、今度は手塚の方から言い出さなければならないのだということも判っている。 不二は優しくて繊細だから、手塚をあまり急かしたり、それで自分が傷ついたりするのを恐れているのだろうから。 ちゃんと、もう『多分』ではないのだと、お前のことが好きなのだと口に出して言ってやらねばならない。 それは判っているのだが、いざ言おうとすると緊張してしまって、言葉にならないのだ。 だからせめて、不二の望むとおりにしてやろうと思ったのに、不二ははぐらかしてしまった――――。 溜め息をついた手塚の様子に気付いた大石が、声をかけてくる。 「どうした? 手塚。どこか具合でも悪いのか?」 心配そうな声音で訊ねられ、手塚は慌てて否定する。昨夜の行為のせいで下半身は重く、だるかったけれど、辛いと言うほどでもない。 「ちょっと、考え事をしていただけだ」 「そうか? なら、いいけど……体調が悪いようなら、言ってくれよ?」 お前は昔から我慢をしすぎるから、と言われて、判ったと素直に頷いた。実際、いつでもこの幼馴染みには気を使わせてしまってばかりで、申し訳ないとは思っているのだ。 「おーいし、そんなん気にしてたらバカらしいよ。どーせ手塚ってば、不二のせーで疲れてるだけにゃんだから」 そこへ、着替えを終えた菊丸が口を挟む。真っ赤になって、咎めるように名を呼ぶ大石の態度で、ようやく意味を悟った手塚も真っ赤になる。 彼らの反応など全く気にしていないふうで、菊丸は手塚に向かっていきなり興味深げに訊ねてきた。 「手塚ってさー、不二のどこがよかったの?」 「………不二は優しい」 どこと言われても伝えきれるものではないので、手塚は少し考えた後、特に思っていたことを挙げた。と、 「ええ〜? 不二のどこが優しいって? アイツ、めちゃくちゃ意地悪じゃん!!」 この場に不二がいないのを知っていてだろうが、大声でそんなことを言われて、手塚は驚いた。大声を出されたことにもだが、何よりその内容に。 大石のほうを窺うと、彼もまた顔を引きつらせていた。どうやら、菊丸と同意見らしく、反論はない。 不二が、意地悪。そんなふうに感じたことは、一度もなかった。 戸惑う手塚に、気を取り直した大石が優しく微笑みかける。 「きっと、手塚のことが特別だから。不二は、手塚には優しいんだな」 「それって手塚の前でだけネコ被ってるってコト? ……わー不二らしい〜」 茶化すような菊丸の言葉はしかし、もはや手塚には届いていなかった。 ――――こんなにも不二は俺のことを想ってくれているのに。俺は不二に、何も返してやれていない。 そのことがひどく辛くて、手塚は今日こそ自分の気持ちを言ってやろう、と改めて思った。 部活後、いつものように誘われるまま不二の家へ向かう。 毎日のように身体を繋げるわけではもちろんないけれど、ただ傍にいるだけの時間でも少しでも長く欲しい、と強請られて、それ以来習慣のようになっているのだ。 しかし、前日に抱き合ったばかりだったので、今日は一緒に勉強でもするのだろうかと手塚は考えていたが、不二はそうではなかった。 自室に手塚を招き入れるなりドアに鍵をかけ、驚いている手塚をベッドに突き飛ばした。咄嗟のことで受身も取れずシーツの上に転がってしまった手塚の上に、そのまま覆い被さっていく。 「ふ、不二………?」 こんな乱暴なことをされたのは初めてで、手塚は呆然と不二を見上げた。 「………キミは……大石や英二といる時、随分楽しそうにするんだね」 「え…………」 「僕といる時にはいつもそんなふうに……困ったカオばかりするくせに」 「ふ……じ?」 「ねぇ。どうしたら、」 グッ…とシャツの胸元を掴んで引っ張ると、不二はそこに顔を埋めた。 「どうしたらキミは、ボクだけのものになってくれるの……?」 切ない声で囁かれ、手塚はゆっくりと瞬くと、そっと腕を持ち上げて不二を抱き寄せた。 目を閉じ、その柔らかく癖のあまりない髪を優しく梳いてやる。 「……お前のものだ、不二。俺はずっと」 「手塚……?」 「お前が好きだ。だから、お前が不安に思うことは何もない」 ようやく言えたその言葉に手塚は満足げに微笑み、不二の唇に己のそれを重ねた。 驚いて目を見開いていた不二は一転、幸せそうな笑みを浮かべ、手塚をきつく抱き締めて嬉しい、と吐息混じりに呟いた。 その後しばらく、不二は異常なほど上機嫌で。 あまりのテンションの高さに怯えた菊丸が、原因である手塚に泣きついてきたり。 それに対して妬いた不二が更にその菊丸を苛めたりの悪循環が繰り返され。 「もー! 不二の奴、何とかしてよ〜!!」 お前のカレシじゃん、と責めてくる菊丸に、手塚は思わず溜め息をつく。 どうやら自分は、相当厄介な相手に捕まってしまったらしい……と、今更ながらに気付いた手塚だった。
あまりにも放っていた時期が長すぎて、話が変わっちゃいました(死) |