せめて、今日だけは
一回……二回……まだ、帰っていないかもしれない。 三回……四回……まさかと思うが、もう寝てしまっているのではないだろうか? 五回……通話を切ろうとした途端、プツリという音がして。 『もしもしっ!? 手塚!?』 慌てたような声が、耳に届いた。耳元から離しているのに聞こえてくるほどの大音量に、俺は思わず小さく笑った。 「久しぶりだな、菊丸」 『うわぁーどしたの、手塚からかけてくれるなんてっ。にゃににゃに? 俺の声聞きたくなっちゃったとかー?』 あはは、と弾けるような笑い声。出会った頃よりも少しだけ低くなったけれど、はしゃいだ時のそれは今も変わらない。 もう、随分聞いていなかった気がする。明るい声に、ホッとする。 「……ああ、そうだ」 だからだろう。 俺はいつもならばムキになって否定していただろう菊丸の言葉に、自然に頷いていた。 携帯電話の向こう側で、思いがけない俺の答えにアイツが絶句しているのが判った。 『ど……どしたの、手塚……』 「何だ。俺がお前の声を聞きたいと思うのは可笑しいか?」 『や、そーじゃないケド………待って。ちょっと……マズイよぅ……』 困ったような声。多分、耳まで真っ赤になって、あちこちに視線を彷徨わせているのだろう。 そんな様子が目に浮かぶようで。俺はまた、笑みを浮かべた。 そして、次に続くだろう菊丸の言葉も、俺には判っていた。 『…………会いたく、なっちゃったじゃん………』 手塚のバカ、と小さく罵られ、その拗ねた響きさえも心地好くて目を閉じる。 「じゃあ、会おうか」 『え?』 いつもなら、考え付きもしなかった悪戯。 あと、一時間で日付が変わる。 今、会えなくては。 『…………ちょっと……手塚今、どこにいんの……?』 俺の呼吸が少し深いことに気づいたのか、菊丸は怪しむような声音で訊いてきた。 答えを態と一拍遅らせると、俺が口を開く前に、正面に建っているアパートの二階の窓のカーテンが、勢いよく開かれた。 『………バカッ!!』 その声を最後に、通話は途切れ。 十秒も経たないうちにアパートから菊丸が飛び出してくるのが見えた。 大慌てできたのは判るが、パジャマ姿だ。全く、こんなに寒いのにムチャクチャな奴だな。 そんなことを思っていると、駆け寄ってきた菊丸に思い切りきつく抱き竦められた。 「何、考えてんだよ……風邪引いたらどうするッ……」 はぁっ、と大きく息をついて、少しだけ力が緩められる。 いつの間にか、俺よりも大きく、逞しくなった菊丸の腕は、俺の身体をすっぽりとその中に収めてしまう。それに気付いた頃は、追い抜かれたことが悔しかったことを思い出した。 厚手のコートを通しても、温もりが伝わってくる気がする。 その背中に腕を回そうとした時、唐突に肩を掴んで引き離された。 「もーっ、こんな冷たくなって! ホラ早く来て、とにかく風呂入って温まるコト!」 「………お前が温めてくれるんじゃないのか」 手を引かれるままついて行きながらそう呟くと、驚いたように振り返った菊丸は、昔と少しも変わらない、悪戯っぽい笑みを向けてきた。 「お風呂から出たら、うんとアツクしてあげるよ」 繋いだ手から、瞬時に期待で上がった体温を気付かれなければいいと、思った。
宣言どおり、風呂から上がるなりベッドの上に引き倒され、圧し掛かってきた菊丸に唇を塞がれた。 じわり、と内から熱が上がっていく。 酔っているように頭の奥がじんと痺れてくる。もう、どれくらいぶりなのかも判らない――――――菊丸の、唇。温かいというより熱いといえるほどの、その肌。両頬を包み込む、大きな手のひら。 何も考えられなくなるその瞬間、不意に小さな電子音が鳴って、ハッと我に返る。 俺は菊丸の胸をそっと押し返し、唇を解かせた。 不満気な表情で見つめてくる大きな身体の子供に微笑み、その耳元に唇を寄せる。 「誕生日、おめでとう……英二」 ちょうど日付が変わったことを告げると、見開かれた大きな瞳が、嬉しそうに細められた。 「何? もしかして、手塚がプレゼントってコト?」 「不満か?」 「まさか」 目の前にある耳朶に噛み付いてやると、クスクスと笑う声。吐息が耳にかかって、くすぐったさに首を竦める。 引き寄せられるまま、間近で視線を合わせる。 「ありがと。……サイコーのプレゼントだよ」 コツン、と額を軽く当てられて、つられて俺も笑った。 いつだって、傍にはいられないから。 せめて今日だけは――――――愛するひとと朝まで温もりを分け合おう。 ――――――これじゃどっちがプレゼントか、判らないけどな。 与えられる心地好さに目を閉じて、俺はまた少し笑った。
菊丸君、お誕生日オメデトー!! |