ひとまち


 

 待つのは好きじゃない。
 必ず戻ると、守られない約束を残していったひとたちの後ろ姿を思い出すから。

 ――――待つのは、嫌いだった。

 

「すみません、カカシ先生」
 報告書を提出し、受付所を出たところで追ってきたイルカに声を掛けられる。
「あれ、どうしたんです? もうお仕事終わったんですか?」
 カカシは振り返り、首を傾げた。
 今夜は二人で呑みに行くことになっていた。イルカの仕事が終わる頃にアカデミーの前で待ち合わせ。時間は、七時頃、だったはず。
 今はまだ、六時を少し過ぎたところだ。まだ一時間も早い。
 カカシの問いに、イルカは済まなそうな表情をした。
「あ、あの……アカデミーの方で残業しなきゃならなくなりまして……ちょっと、七時には終われそうもなくなってしまったんです」
「ああ……そうですか。ま、お仕事じゃ仕方ないですね」
 カカシは頭を掻いた。
 仕方ない、と口では言ってみたものの、昨日まで任務に出ていて、実はイルカとゆっくり過ごせるのは二週間ぶり。内心では、かなりガッカリしていた。
 とはいえ、子供ではあるまいし、嫌だなどと駄々を捏ねるわけにもいかない。気にしないで下さい、とできるだけ普段どおりに繕った笑顔を向ける。
 それでも、イルカにはその無理が伝わってしまったらしい。
「あっ、でも何とか八時過ぎには終わると思うので、それからで良ければ……」
「ホントですか!?」
 イルカの言葉が終わらぬうちに、カカシはパッと反応した。その明らさまな態度に、イルカが思わずプッと吹き出す。
 多少バツが悪い思いをしたけれど、嬉しいものは嬉しいのだからそれこそ仕方のないことだ。
「じゃあ、待ってます。絶対来てくださいね。約束ですよ!?」
 子供のように念を押すカカシに、イルカは笑いながら頷いた。
「はい、できるだけ早く終わらせるようにしますから。……待ってて下さい」

 

 一旦家に帰るなり誰かを捕まえるなりして、時間を潰そうと思っていた。何しろまだ、二時間も先の話だ。
 しかしアカデミーを出たカカシは、そのまま門に背を凭れていつもの愛読書を取り出し、ページを捲り始めた。
 既に辺りは薄暗い。広げるだけだ。文字を追うことも出来なくはないが、ただでさえ普段片目に負担をかけているのだ。それに今はそこまでして読みたいわけでもなかった。
 時折、思い出したように懐中時計で時刻を確認する。時間が過ぎるのが、やけに遅く感じられた。
 その間にも、通りすがった上忍仲間の幾人かに声を掛けられる。その誘いを、全て素気無く突っぱねて。
 暇そうにしてるから誘ってやったのに。不満そうな彼らに、はいはいアリガトね、また今度ねと適当に手を振る。
 いくら暇でも、アンタらと呑むよりここで待つほうが俺にとっては有意義なんだよ、バーカ。
 内心、そんなふうに舌を出しながら。
 そうやって何人目かを躱した後、ふと気付けば足下も見えないほど真っ暗で、カカシは一文字も読んではいなかった本をポーチに戻した。
 時計の針は、もうすぐ七時半を指すところだ。
「おう、カカシじゃねーか。何してんだンなとこでよ」
 不意にぬう、と現れた人影に、カカシは驚くこともなく返した。
「イルカ先生待ってんの
「……珍しいな」
 ヒゲ面の同僚は僅かに目を見開いた。暗闇の中でその表情が判るのは、カカシが夜目が利くからだけでなく、彼の咥えている煙草の小さな灯りの所為だ。
「なーに、珍しいって。俺とイルカ先生、三日に一回は呑んでんよ?」
「そーじゃねぇ。テメェが待ってるのが珍しいっつってんだよ」
「あー……」
 煙を吐き出しながら言うアスマに、カカシは納得したとばかり何度も頷く。
「そーね、俺、待つの嫌いだからなァ」
 カカシは遅刻魔だ。と、いうのは彼の受け持つ下忍たちの意見である。
 実際、カカシは重要な任務に関わる時には決して遅刻などしない。部下達との待ち合わせに常に遅れてくるのは、それなりの理由があるらしい。もっとも、もともと寝汚い所為であることも否めないのであるが。
 だが任務時でさえ、遅れはしない代わりに時間前に現れることもない。
 それは、イルカとの約束に於いても同じことで。
 アスマも何度か、待ち合わせる彼らを見かけたことがある。
 けれど、いつでも先に来て待っていたのはイルカのほうだった。
 それが、聞けば今日は酔狂にも二時間もここでイルカを待つのだと言う。
 ――――一体どんな風の吹き回しなんだか。
 まぁ、どうでもいいけどよ、とボリボリ頭を掻きつつ、アスマはカカシの脇を大股で擦り抜ける。とっとと報告書を提出して、これから食事に行くつもりなのだ。
 門内に足を踏み入れた時、背後から含み笑いが聞こえてきた。思わず、歩みが止まる。
「気色悪ィ笑い方してんじゃねえよ」
「ふふ、だってさぁ。――ねーアスマ。誰か待つのって、楽しいねぇ」
「………たった今、お前『待つの嫌い』とか言ってなかったか……」
 呆れ果てたと顔に書いたアスマは、やってられるかと踵を返し、再び足を進めた。
 絶対にもう振り向かねえぞと言っている背中を見送り、カカシはクスクスと笑う。
「誰か、じゃなくて。イルカ先生だからかなぁ」
 時計を見れば、七時四十五分を指している。カカシはズボンのポケットに手を突っ込み、門に凭れたまま空を仰いだ。月がもう、随分と高い位置にある。
 人を待つのは嫌いだった。
 今でも、そうだ。本当なら、こんなところで二時間もボーッと待っているなんて絶対にゴメンだ。
 けれど。

『待ってて下さい』

 イルカが、そう言ったから。
 あのひとは決して約束を違えないひとだから。
 必ず来る相手――それもこの世で一番大切に想うひとを待つのは嬉しくて、そして楽しかった。
 今日はどこに連れて行こう。何ならどちらかの家へ行くのでも良い。いや、むしろそのほうが二人きりでゆっくり過ごせて良いかもしれない。イルカが来たらそう提案してみよう。
 地面に向かってそんなことを考えるのも、楽しい。
 こんなに楽しい時間を過ごせるなら、たまには約束よりも先に来るのも良いかもしれない。

 ――――ま、相手はイルカ先生限定だけどね。

 ふっと、カカシは顔を上げた。
 慌てて駆けて来る気配。まだ遠いそれを感じ取って、布の下で唇が自然に弧を描く。
「カカシ先生ッ、遅くなってすみません……!」
 息を切らしてそう叫ぶイルカに、カカシはいいんですよ、とにっこり笑って見せた。
「お疲れ様です、イルカ先生」
 そう言って差し出した手を、イルカは戸惑いながらも取ってくれる。緩く繋がれたそれをしっかりと握り返して、カカシは歩き出した。

 

 

「ねぇ、イルカ先生、今日は俺のうちに来ませんか」

 

 

――――――end

 

 



カカシ×イルカリンクトップ企画投稿作品。テーマは「待ち人」。
これを途中まで書いてたところで、別のネタが浮かんで、
そっちを書き始めたのは良いのだが、また途中でふと気づきました。
「…これ、カカイルなん…?」(死)
そんなワケで当初予定してたほうを仕上げたのでした。
没にした方は、気が向いたら仕上げてUPします。えへ。
'03.08.04up


 

 

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