ただ、その一言が
「副部長っ、手塚副部長っ!!」 グラウンド中にビィンと響き渡る大音量。一年生から三年、レギュラーまでがそれを耳にしてああまたか、と苦笑した。 元気とヤル気と人懐こさはテニス部一の、一年生。部活動見学で二年生でありながら副部長を務める手塚のプレイに一目惚れして入部した新入生の一人。入部するなり同級生の海堂薫と大喧嘩をして部内にその存在を強烈に印象付けた、彼の名は桃城武という。 「桃城、声が大きすぎるぞ」 「カタイこと言わないで下さいよー! ねーそれよりッ」 渋面を作る先輩にわははと豪快に笑って手を振り、桃城はずいと彼に身を乗り出した。二十センチ近い身長差も、桃城にはまったく気にならないようだ。 「俺っ! 今日誕生日なんス!!」 えへん、と何故か得意げに言って、ぐっと胸を張る。と、 「ほーう、そうかそうか。そりゃオメデトウ桃城クン」 ぬっと背後から伸びてきた手にポンと肩を叩かれ、桃城が固まった。別に凄まれたわけではない、むしろ楽しげに笑いさえ含んだその声。 周りが一斉にあ〜あ、と息を吐く中、手塚だけが桃城の背後に向かって何でもない口調で応えた。 「部長、十分遅刻ですよ」 おー悪ぃ、後で十周走ってくるわ。声を掛けられた男は、桃城の肩を掴んだままそんなことを言っている。 「まっ……まさき部長………」 口端をひくつかせながら振り返り名を呼ぶ桃城に、松前はにこりと笑って見せた。 「部活中の私語は慎むよーに。桃、球拾いのあと俺と一緒にグラウンド十周な」 「えー!!!」 桃城の叫びが、再びグラウンドに響き渡った。
オメデトウ、と。 たったひとことあのひとに言ってもらいたかっただけなのに。 「おーい桃ォ、しっかりしろよ、部長にもう周遅れだぞォ」 「あと三周、頑張れー!」 ただ球拾いをしただけならともかく、いつものように不必要に海堂と張り合ったりしていた所為で、練習が終わる頃には桃城は既にヘトヘトで。 その上グラウンドを十周も走るのは、かなり堪えることだった。 疲れと望みを果たせなかった不満とで、ドリンクを手に見物している先輩たちに応じる余裕もない。 桃城に一周差をつけて並びながら、やや速度を落とした松前が話し掛けてくる。 「桃ってホント、手塚のこと好きなんだなァ」 感心したような呆れたような口調に、桃城は彼をチラリと横目で見遣った。 「……っ、わる、いっスか……っ?」 「いやいや、良いことだ。お前や英二みたいなヤツがもっとアイツに干渉してくれると俺も嬉しい」 上がる息の間から切れ切れに問えば、思いがけず真面目そのものの答えが返ってきて。 「桃、あと二周ー!」 菊丸の声に振り向けば、手を振っている彼の傍に手塚がいた。その隣に立つ大石と、何事か話している。次期部長・副部長と言われている二人は、幼馴染みだと聞いた。 そこへ不二が加わって、更に乾もやってきた。天才と呼ばれる不二と、データテニスの乾。現三年生が引退した後、手塚・大石と共に青学テニス部を率いてゆく者たちだ。 世界を作っている先輩たちが何となく面白くなくて、桃城はムスッと頬を膨らませた。 「副部長、は……ちゃんと、他の先輩たちと、やってるっスよ」 「ちゃんと、なァ。んーまあ、俺が心配することでもねーんだけどな」 面倒見がよく、どちらかといえばお節介の部類に入る松前は、いつまでも幼馴染みの大石以外と打ち解けない手塚のことが心配でならないらしい。 照れたように笑ってそう言った松前は、不意にスピードを緩めた。 「はい、ゴール」 「え」 「お前はあと一周だぞ桃〜」 頑張れ〜と手を振って見送る松前に桃城はズルイっス部長!と喚いてヤケクソ気味にスピードを上げた。
「早いとこレギュラーになって、アイツを助けてやれる力をつけろよ」 引退していく松前が、こっそりと桃城に言った言葉。 その言葉の通りレギュラーの座を勝ち取り、少なからず手塚の、いや青学テニス部の力になれるようになった。 だからこそ、六月のランキング戦でレギュラーから外れてしまったことは大変なショックで。 それでも手塚が、「上がってこい」と言ってくれたから。だから。 ――――そういや、結局去年も「オメデトウ」って言ってもらい損ねたんだよなぁ。 結局桃城が走り終え、他の一年に混じって片付けをして部室に戻る頃には、既に手塚はいなかったのだ。 待っていてくれた菊丸が言うには、不二が大石と手塚を引っ張ってさっさと帰ってしまったらしい。 酷く残念に思ってどっと疲れが襲ってきた桃城がのそのそと着替え終えると、菊丸と、同じく残っていてくれた河村が祝いの言葉をくれた。 それが嬉しかったから、まあ良いや来年言ってもらおう、なんて思ったのだけど。 ――――まさか次の年のこの時期に、肝心の人がいないだなんて思わねぇよなぁ、思わねぇよ。 盛大に溜め息を吐く。 関東大会一回戦で痛めた肩の治療のため九州へ行ってしまった手塚は、まだ戻ってはこない。 菊丸がレギュラー全員に声をかけたために、今年は皆で河村の自宅で寿司を奢ってくれることになっていた。 それはありがたいし、嬉しいけれど、どうしてもこの場にいないひとを想ってしまう。 あの翌日にも何も言ってくれなかった手塚は、もう桃城の誕生日のことなど忘れてしまっているのだろう。彼らしいけれど、何だか寂しくもある。 「桃先輩、元気ないっスね珍しい」 どうかしたんスか?と問い掛けてくる生意気な後輩に、何でもねーよと笑って返した時。 「桃!」 不意に大石が名を呼び、桃城を手招いた。何事かと駆け寄れば、彼の手には携帯電話が握られていて。 不思議そうな表情の桃城に、大石はにっこりと笑ってそれを差し出した。 「手塚からだよ」 思わず引っ手繰るように携帯を受け取る。メールらしい文面が画面に映っている。 『桃城 誕生日おめでとう』 たったひとこと。 けれど、ずっと欲しかった言葉だった。 その後。 一日も早く携帯を買って手塚部長とメールする!と燃える桃城に。 「桃先輩が携帯買うより、部長が戻って来るほうが早いんじゃないんスか?」 水を差した後輩が桃城にヘッドロックをかけられたとか、かけられなかったとか。
全国大会は、目の前だった。
すみません、乾さんのバースデーSSの時に |