近くて遠い存在

 

 あれ、と思った。
 ボールを拾う手が止まり、何気なく顔を上げた手塚の眼差しが向かう先。
「……光……、手塚くん?」
 呼び慣れぬふうの名字呼びに、ハッと我に返った手塚は戸惑った表情で幼馴染みを振り返った。
「なに? 大石くん」
「あ、うん………何でもない」
 自分がそれまでどこを見ていたのかも判っていないようなその様子に、大石は曖昧に笑って手を振った。
 不思議そうな表情をした後再び転がるボールに手を伸ばす手塚を見つめ、そして気付かれないように、彼が眺めていた先を確かめる。

 そこには、レギュラーを集めて何事か指示している、大和部長の姿があった。

 

 手塚が大和を他の者と比べて特別な位置に置いていたのは、大石も知っていた。そうなるきっかけとなった事件に、大石もまた居合わせていたからだ。
『手塚くん、キミには青学の柱になってもらいます』
 多分、手塚と大石以外、誰も知らないであろう大和の言葉。
 それ以降も、決して周りと手塚との確執がなくなったわけではないけれど、手塚は黙って耐え、一度は辞めようとしたテニス部に変らず籍を置いている。
 それが大和との約束を果たすためだということは、大石にも判った。
 気付いた時、自分しかいなかったはずの手塚の『特別』に彼が収まってしまったことに言い知れぬ寂しさを感じていたけれど。
 チクリ、痛んだ胸に戸惑う。
 この気持ちは、幼馴染みを取られるという、単純な独占欲やヤキモチとは違う、そう気付いて。
 そして自分が手塚を見つめるのと同じ眼差しで大和を見つめる手塚の気持ちにも、同時に気付いてしまった。
 先輩への尊敬などではなく、手塚は、大和のことを好きなのだ。

 

 気になっていたことがあった。
 おそらく無意識に、大和を追う手塚の視線に気がついた後ですぐ、それにも気付いた。
 手塚が、大和から視線を外すのとほぼ同じタイミングで、大和が振り返るのだ。
 一度や二度の偶然ではない。毎回のように擦れ違う目線。カラーレンズに遮られその目は窺えないけれど、表情は他の誰に対する時よりも穏やかで。
「大和部長、手塚くんのことどう思ってるんですか?」
 思い余ってそう訊ねた時、大和は少しだけ驚いて見せたあと、にっこりと笑って大石に応えた。
「大好きですよー。大事な可愛い後輩ですからねぇ」
 それで言うならもちろん、大石くん、キミのことも好きですよ? と。
 ―――――――――――ああ、何てことだろう。大石は訊かなければ良かったと心底悔やんだ。

 この二人、両想いなんじゃないか。

 大和は今のところ、自分から行動を起こす気はないようだ。手塚に至っては、まだ自分の気持ちのは正体さえ判っていない。
 相変わらず絶妙のタイミングで擦れ違う視線を、大石は複雑な想いで眺めていた。
 手塚を手離したくないのなら。
 簡単だ、このまま黙っていれば良い。大和たち三年は直に引退し、顔を合わせることもなくなる。手塚はきっと寂しい思いをするだろうが、それに気付かせないくらい自分が傍にいてやればいいのだ。
 そこに至ればさすがに大和が動くかもしれないが、防ぐ手段ならいくらでもある。幼馴染みで、現在手塚に一番近しい存在である自分ならば、それが可能だ。
 自分の恋は叶わないだろう、大石にはすでにそのことが判っていた。けれど、ただ傍にいるだけなら――――そう、このままいられるのなら。
 ――――――判っている、のに。
「手塚くん、帰ろう」
 着替えを終え、声をかける。
 手塚は使用済みのタオルをバッグにしまいながらコクンと頷いた。
 ドアの前で、まだ残っている先輩たちにお疲れ様でした、と大きな声で言って礼をし、部室を後にする。部誌を書いている大和を、また手塚がチラリと見たことに、大石は観念して溜め息を吐いた。
 しようがないじゃないか、光くんのこんなカオ、見たくないんだから。
 大石の溜め息に、手塚が不思議そうな表情を向ける。大石は苦笑を浮かべて何でもない、と応え、並んで歩き出した。
「………手塚くんさぁ、」
「?」
「いつも部長のこと見てるよね。……僕と話してる時もさ」
「そう……かな」
「好きなんでしょ?」
 手塚が戸惑っているのが判る。多分、わざと含ませた『好き』の意味を考えているのだろう。
「手塚くん、大和部長のこと好きなんだよ。ねぇ、もうすぐ部長、引退しちゃうよ? 告白、してみれば良いじゃない」
 彼が答えを出す前に、畳み掛けるように言う。どうせ手塚が本気で考え込んでいたら、半年経っても答えなんて出やしない。
 常識とかそんなものに捕われて、正解を導き出した時には手遅れで、後悔して深く傷つくに違いない。
 判っていて、放ってなどおけない。さっさと自覚させ、彼のほうから行動させなくては。
「……でも」
「部長も手塚くんのこと好きだから、絶対うまくいくよ! だって部長がそう言ってたの、僕聞いたもん」
 性格には、大和の言葉を特別に想っているというものではなかったけれど。でも、判るから。
「好きって言っちゃいなよ、ね?」
 まだ戸惑い躊躇っている手塚の、バッグを持っていない手を掴んで、大石は真剣な表情で彼が頷くのを待った。

 

「大和部長っ」
「はい、何ですか? 手塚くん」
「あのっ、今日の練習の後、俺と一緒に帰ってくれますかッ」
「もちろん構いませんよ。可愛い手塚くんのお願いなら、僕には断れませんから
「………え……」

 ポッと頬を染める手塚と、ニコニコと笑っている大和を遠目に見ていた大石は、ズクリと痛んだ胸を押さえた。
 大石に言われ、己の気持ちを自覚してからの手塚の行動は、さすがに早かった。
 翌日には早速大和を誘って告白をして退け、次の日の二人の様子から大石には訊くまでもなくその結果が判った。
「いつの間にあの2人、仲良くなったんだい?」
 不二に訊かれ、曖昧に笑って誤魔化す。
 今までの擦れ違う視線から想像もつかない、堂々としたイチャイチャっぷりに、周りはひたすら困惑している。
 それでも、ここ数年見られなかった手塚の笑顔を、見られて。
 そうさせているのが、自分ではなくても。
 ――――――良かったね、光くん。
 複雑な気持ちを隠して、心の中でこっそりと呼び掛ける。自然に、笑みが浮かぶ。
 ――――――これで、良かったんだよね。
 今度は自分に言い聞かせるように、大石は呟いた。
 手塚を想う気持ちはきっと変わらないけれど、手塚の『一番』はもう自分ではないだろうけれど。
 これからは今までと少しだけ違う関係を、それでもずっと続けていけたらと思う。

 そのために、二人が寄り添う姿を見ても胸が痛まなくなるよう、もっと慣れておかなくちゃな。

 



30000HITオメデトウございます、しゅう子さま。
申告&リク、ありがとうございました♥
すみません、大石出張りすぎました…(死)
メインは大和塚で、と言うことだったのに。
どーも大石が活躍(?)しないと、くっつきそうもなくて;
元々身を引くキャラに気持ちが入っちゃうもんで…(^_^;)
もしかしたら、リベンジあるかもです。
とにかく、リクエストありがとうございました♥♥


 

 

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