彼 の 恋 人

 

 あれ、と思った。
 ――――――実際、菊丸は決して察しの良いほうではない。それでも。
 絡まない視線。それも、片方が意図的に躱している、ような。
 それを追う目があまりにも哀しげで、菊丸は胸が締め付けられるような思いがした。

『ねぇ、英二。僕ね、手塚と付き合うことになったんだ』

 嬉しそうに報告されて、初めて気付いた自分の気持ち。
 もっと早く自覚していたら、こうして幸せそうに笑っているのは自分のほうだっただろうか。
 そんなふうに考えてしまった自分が嫌で、それを誤魔化すために無理やりに作った笑顔を彼に向けた。
『オメデト、不二。良かったね』
 ありがとう、と微笑う友人が、羨ましくて堪らなかった。

 あれから、たった二ヶ月しか経っていないのに。

 

 

「ちょっとちょっと、不二!? ケンカでもしたの? 何で手塚、無視してんのさ!?」
 朝練を終え、着替えを済ませて、スタスタと先に立って教室へ向かう不二を追いかけながら、可哀想じゃん、と抗議する。
 お節介だとは思ったけれど、言わずにいられなかった。
 言わないけれど、言えないけれど――――――スキなヒトのあんな辛そうなカオ見て、放ってなどおけない。
 なのに。
「英二。悪いけどその名前、しばらく僕の前では口にしないで」
 菊丸が見たこともないほど冷たい目をした不二が、無表情でそう言った。
「な……何言って、ってかどしたの一体……?」
「あっちに訊いてよ。僕はもう、あんな鈍感で無神経な奴、うんざりしてるんだから」
 戸惑う菊丸の問い掛けにそう言い放つと、それ以上不二は何を訊いても答えようとはしなかった。
 手塚の名さえ、一度も口にしていない。
 あんな蕩けそうな表情で、彼のことを可愛い、と惚気ていた不二とは、まるで別人のようだ。
 教室で、隣り合った席に着いても、不二の横顔が一切の追及を拒んでいて、菊丸ももうそれ以上何も言えなくなってしまった。

 

 あっちに訊いてよ、などと言われてしまっては、もう不二が自ら口を割ることはないだろう。
 昼休みを待って、菊丸は3年1組の教室に赴いた。すると、その手前の2組の教室の前で、中からちょうど出てきた大石と鉢合わせた。
「あっ、おーいしー」
「あ、英二。不二は……?」
「教室。……どしたの、あの二人? 大石、聞いてる?」
 どこか焦っているような大石に訊ねると、大石は困りきった表情になって、
「とりあえず、不二と話してくる。英二、悪いけど手塚のほう頼むよ」
 菊丸の疑問には答えずに、そのまま菊丸が来た方向へ早足で行ってしまう。走りたいところだろうが、さすがは優等生と言うところか。
 結局本人に訊くしかないのか、と大袈裟に溜め息を吐いて、菊丸もまた当初の目的地へ急いだ。開け放してある扉から中を覗き込み、手塚の姿を探す。
 手塚は自分の席に着いたまま弁当も開かず、俯いて机の上をじっと見ていた。
 何だかそれがひどく寂しそうで、菊丸は室内に入り込み、彼の元へと足を進めた。
 とん、と机に手を突くと、ハッとしたように上げられた顔はどこか疲れた表情をしていて。
「………菊丸」
「うん。大丈夫?」
 大石がわざわざ不二の元へ出向いたことで、何だかおおよその事情は判ってしまったような気がした。
「お弁当、まだでしょ。一緒に食べよ?」
 菊丸はそう言うと、手塚の手を引っ張って立たせ、屋上までそのまま連れて行った。教室で込み入った話をするわけにいかない。
 それぞれ弁当を広げながら、菊丸が問うのに、手塚が躊躇いつつもポツポツと答え始める。
 予想通り、原因は大石だった。と言うか、手塚と大石の間柄と言うべきか。
 二人は幼馴染みで、不二や菊丸たちと知り合うずっと以前からの付き合いで、仲が良かった。今はテニス部の部長と副部長をしていて、更に校内で一緒にいる時間が増している。
 そんなことは今更なのだが、当然、手塚の恋人である不二は面白くはないだろう。このネタで小さなケンカ程度のことは日常茶飯事だった。
 しかし今回は、少々勝手が違ったようだ。
 昨日の休みの時のこと。
 不二と先に約束していたのをすっかり忘れた手塚が、大石との約束を入れてしまったのである。
 とは言え、それも部活絡みの用事だったために、常ならばそれでも不二を優先する手塚が、不二の方を断ってしまった。
『手塚は僕よりも、大石をとるワケ!?』
 ――――――まぁそうくるわな、と言うような不二の言い分に、最初のうちは申し訳なさから黙って文句を聞いていた手塚が切れて。
『お前と付き合ってから、俺は大石とは一度も出かけられないんだぞ!』
 その後はもう、売り言葉に買い言葉。不二は『じゃあもう別れよう』と言い捨てて去って行ってしまい、今日に至る、らしい。
 自己嫌悪に陥っている手塚を見つめて、話を聞き終えた菊丸は何を言ってよいやら判らない。こうなると、大石がフォローするのも何だか妙な気がする。
 不二と付き合うまでは、休みのたびに大石と図書館やテニスコートに出かけていたらしい手塚としては、たまにはいいじゃないかと反発する気持ちもあったのだろう。まぁ、それも判らないではない。
 しかし同時に、不二の気持ちも判ってしまうだけに、菊丸としては落ち込む手塚にかけるべき言葉を見つけられなかった。
 しばし、互いに黙々と弁当をつつく。
「………手塚は」
 ごはんの最後の一口を箸に乗せたまま、菊丸が口を開いた。
「手塚は、それでも不二が好きなんでしょ?」
 驚いて顔を上げ、菊丸を見た手塚は、ほんのりと赤く頬を染めつつ小さく頷いた。
「……そっか………」
 胸に走った痛みを堪えて、菊丸はニッコリと笑って見せる。
 チャンスだ、なんて思えなかった。
 手塚のことを、いくら好きでも――――――不二は自分にとって、大切な友人だから。勢いに任せて、ただ一時の感情でこのまま別れたら、きっと不二だって後悔すると知っているから。
 二人が一緒じゃないと調子が狂うからね、と笑顔のまま嘘をついた。

 

 

 大石の説得はあまり効果がなかったようだ。
 昼休み終了を告げる予鈴を聞き、教室に戻ると、相変わらず笑顔で不機嫌オーラを放出している不二を見止めて思わず溜め息が零れた。
「……別れる、とかさ。マジ?」
「……………」
 不二は答えない。
 けれど微かにその眉が寄り、本位ではないことを示している。
 ――――――ったく、素直じゃにゃいね〜。
 菊丸はまだ騒がしい教室内を見渡す振りをして、不二から目線を逸らせた。
「じゃあさ。……俺、手塚もらっちゃってもイイ?」
「………何その冗談」
「冗談じゃないんだケド。てか、大マジ。だって俺、前から手塚、イイって思ってたもん」
 途端に強張り、尖った不二の声に、そちらを見ないまま応える。
 本気じゃないけど、本気だから、多分かなりホントっぽく聞こえているはずだ。こんなふうに自分の気持ちを口にする日が来るなんて、思ってもみなかった。
 不意に、ガタンと音を立てて不二が立ち上がった。
「サボるんなら早く行かないと、本鈴鳴るよ?」
 そこでようやく不二を見上げて、ニッと笑って見せると、不二はひどく複雑そうな表情で菊丸を見下ろした。
「………イイ性格だね」
「お互いサマ、でしょ?」
 カワイイカワイイ手塚に、あんな顔させてさ。
 ふざけた調子で菊丸が言うと、不二は後よろしく、と言い置いて教室を出て行った。
 間もなくして本鈴が鳴り、菊丸は間に合ったかにゃ〜、などと思いつつ頭の後ろで腕を組んだ。教科担任がやってきて、号令がかかる。
 ホント、世話の焼ける奴らだよな、全く。菊丸はやれやれ、と溜め息をつく。

 本気の嘘って、疲れるんだよね〜。
 だから。
 覚悟しといてよね、二人とも♪

 ――――――今度は、嘘じゃなく。本当の本気で奪っちゃうよ?

 

 

 



桜吹雪様から、メールで再びリク頂きました。
「不二塚で、別れたけれどヨリを戻す話を、菊丸視点で」
…というのがリク内容でしたが。
私、好きだけど身を引く、みたいなキャラに夢見ちゃうんで。
私的に菊が大変イイ男になっちゃいました(^^ゞ
何かリク内容、クリアしてますかこれ…?(死)
てゆーかちゃんと別れてもないし!(汗)
と・とにかく桜吹雪様、リクエストありがとうございました!
どーぞお納めくださいませm(__)m


 

 

モドル