そのままでいて
幼い子供のように地団太を踏んで喚くリョーマに、手塚は思わず呆然としていた。 常は、子供そのものの外見に似合わずどこか冷めていて、変に大人びたところのあるリョーマが、こんなふうに駄々を捏ねるところなんて。きっと、誰一人として想像もつかないに違いない。 実際手塚だって、未だに信じられないのだ。 生意気で自信家な一年生ルーキーが、こんなひどいヤキモチ妬きだったなんて。 今も、たかだか一度リョーマの誘いを断って大石との約束を優先させたというだけで、この有様だ。さすがに泣き喚くまではしないが、その大きな瞳は涙に潤んでいる。 大石とはもう一週間も前から約束をしていて、しかもその内容は部活絡みのものだった。それを浮気だなどと騒がれるのは、手塚にすれば心外でしかない。 手塚も、多少は意地を張ってしまった部分もあるが、それにしたって。 馬鹿なことを、と呆れた口調で呟いて溜め息を吐けば、それにカッとなったらしいリョーマが顔を上げ、睨みつけてきた。 そして。 「部長のバカ! 俺も浮気してやるっっ!」 『も』って何だ、と的外れなところに引っかかっているうちに、リョーマは部室を飛び出していってしまった。 今日は用事がある、と大石が鍵を預けて先に帰っていたため、とうに部室には彼ら二人きりだった。独り取り残された手塚は、ようやくリョーマの言葉の意味を飲み込み。 「………浮気………?」 ポツリと、とんでもないその単語を繰り返した。
リョーマは意外に判り易かった。 桃城が気味悪がるほど常にべったりと引っ付き、普段なら適当に躱す菊丸のスキンシップも素直に受け入れ。 ほぼ無視していた女生徒の相手もするようになった。明からさますぎる、当て付け。 最初はあまりに子供っぽい意趣返しに呆れ、勝手にしろと思っていた手塚も、だんだん本気で腹が立ってきていた。 何が浮気だ。ふざけるな。好きなら何を言って、何をしても良いとでも思っているのか。世界に存在するのが俺たちだけだというならともかく、他人と全く関わらずに生きていけるわけがないじゃないか。自分だって桃城や菊丸と一緒に帰ったりするくせに。俺ばっかり責めて。ムカツク。腹が立つ。あの――――――――― 「あのガキ」 ボソッと、思わず漏れた呟き。 あまりに手塚らしくないそれに、練習後一緒に練習メニューの検討をしていた大石と乾が、驚いたように手塚を振り返る。 「ど……どうしたんだ、手塚。何かあったのか……?」 幼馴染みとして十年近く付き合ってきて、手塚がこんなふうに悪態を吐くところなんて、大石は知らない。心配そうに窺うと、手塚は何でもない、と顔を背けてしまった。 乾がニヤリと笑った。 「……手塚も大変だね、子守り」 あんな面倒臭いのやめて、俺にしとけば良いのに。大石にとっては意味不明なことを、からかうように口にする。 冗談だと頭から信じている手塚は、乾を睨んだだけだった。 「俺ならもっと、手塚を楽にしてあげられるよ? あんな子供が相手じゃ、手塚、疲れるばっかでしょう。考え直した方が良いと思うけどね」 「………乾。いい加減に、」 冗談にしてもしつこい、と遮ろうとした時。 部室のドアがバン、と叩きつけられるような勢いで相手、そこに立っていたのは―――――― 「越前? まだ残ってたのか?」 大石の呼びかけにも応えず、リョーマはずかずかと室内へ入ると、手塚の腕を掴んだ。 「ちょっと、部長を借りるっス」 「な……おい、越前っ?」 許可を求めるのではなく言い切ったリョーマは、突然のことに抵抗もできない手塚を半ば引きずるようにして部室を出た。 後に残された大石は呆然と閉ざされたドアを見つめ、乾は残念、と小さく呟いていた。
「何なんだ、いきなり! いい加減にしろ!」 校舎裏まで引っ張っていかれ、ようやく腕の自由を取り戻した手塚がリョーマを睨む。今の今までわざとらしく無視していたくせに、身勝手にも程がある。 「いい加減にしてほしいのはこっちっス。俺がちょっと目を離したら、今度は乾先輩? アンタ一体どーゆ―つもりなワケ?」 「何の話だ! 乾の冗談が気に入らないなら直接本人に言え! 俺は関係ない」 「…………本気で言ってんの、それ」 先程までの苛立った口調から打って変わって、呆れ果てたというような口ぶりに、手塚は今度こそ切れかける。 もういい。知るかこんなガキ。 無言で背を向けかけたその腕を再び捕らえられる。そのまま、ぐいと下方に引っ張られた。 不意のことで反応が遅れた手塚の唇に、ぶつかる勢いでリョーマの唇が押し付けられる。キスをされているのだと自覚するまでに、数秒を要した。 数日振りの感触に、何を思うより先に身体の力が抜けていく。最初こそ乱暴だったキスは、だんだんいつもの、手塚が好きな優しいそれに変わっていった。 「こんなこと……、俺以外としたりしないよね?」 ほんの少しだけ離された唇の隙間で、リョーマが囁く。当たり前だ、誰がするかと口を開く前に、再び唇を覆われる。 「怒らないでよ……アンタのこと好きなんだ。それだけなんだよ」 怒っていたのは自分のくせに、困ったような表情で言うリョーマに、手塚の怒りも萎んでいく。 何だかいまいちよく判らないが、リョーマをそれほど不安にさせたというなら、こちらにも多少の非はある。のかもしれない。 「こんなことを許すのは、お前にだけだ」 ハッキリと口にして言ってやったのは初めてだった。けれどこれくらい、言わなくたって判っているはずだ。いや、判っていてくれなければ困る。 「それは……判ってる、けど……でも嫌だ。アンタはキレイですごくモテるし、全然それを自覚してないからすぐ油断する。付け込んでくる奴がいるかもしれないのが嫌なんだよ」 今のチビの俺じゃ、いざって時にアンタを守ってあげられないかもしれないし。 口惜しそうに呟くリョーマに、手塚は自然に微笑んでいた。 愛しい。 この、チビで生意気でワガママでヤキモチ妬きな、年下の恋人が。抱き締めてやりたいほど愛しくてたまらない。 衝動に逆らわず、手塚はそっとリョーマを抱き寄せた。 「ぶ……部長?」 「別に、俺はお前がチビでもガキでも気にしないぞ」 「何それ。アンタ俺をバカにしてんの?」 ムスッとした声で返しながらも、リョーマは手塚の背に腕を回してきた。本人は抱き締め返しているつもりだろうが、傍からはしがみついているようにしか見えないだろう。 手塚は小さく笑みを零した。 「違う。チビでガキで生意気でも、お前が好きだと言ってる」 ピクン、と背に回った小さな手が震えた。 その反応が可愛くて、思わず宥めるように髪を撫でてやる。いつもならば子供扱いするな、とばかり振り払われるのに、リョーマは珍しくもそれを大人しく受けていた。 「………ホントは、いつか俺のほうがアンタを甘やかしてやりたいのに……これじゃ逆じゃん。カッコ悪……」 まだまだだね、俺。 悔しそうな、けれどどこか嬉しそうなリョーマの言葉に、手塚は満足げに微笑んだ。 そんなに急がなくたって、いずれ背は伸びるし、年を重ねれば余裕も生まれる。 でも今は、ワガママを言って自分を困らせる恋人が、手塚にとっては何よりも愛しいのだった。
亜樹菜様からリク頂きました。 |